無題

子供を作るのは鬼畜の所業。それか馬鹿。 http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

これ読んで割とマジで絶望してた。これを読んだ人たちの反応含めてあまりにも救いがない。少し長くなるけど書く。

まず、これに書かれてあることの是非に興味はない。議論をしたところで結論が出せないタイプの議論。

この文章の根幹にあるものは"産まれたことに対する憎悪"。

生きることとは地獄である、という経験と思想が論理の屋台骨になってる。問題はこれに気付いてない人がいること。俺、これ読んでまず『生きることって地獄だよね…』って共感から入って、これ要は『自分は産まれてきたくなかった』という怨嗟の声だよなぁと思った。

この人の主張には押し付けがましさがあまり感じられない。一つの推測としては、現実でそれなりにつらい状況に追い込まれていて『俺はこんなにも産まれてきたくなかったんだよ』という思いを文章にしてネットにはあげずにはいられなかったんだろうと予測される。そういうメンタル状況で街中を歩く親子を見ている時、軽々に子どもを産んでる人があまりにも多く感じられ、自分のような人間が増えてほしくないという祈りと怨恨から、こんなしちめんど臭い文章をできる限り筋道立てて説明しようとしてしまったんだろう。だからこそ、俺はこれの反応を見て絶望感を味わうことになってしまった。
私はこんなに産まれてきたくなかったんです、と言ってる人に対して、あなたは間違ってると言わんばかりの反論の嵐。

今を生きる生物にとってそれは当然の反論。

だから納得もしましょう、賛同も示しましょう。

だけど、私はそんな反論に対して軽蔑します。

生きることを楽しいと言える人間が、産まれてきたくなかったという人間に対して、あなたは間違っているなんて言うことは言葉の暴力以外の何者でもありません。あなたが強いからそんな言葉を掛けられる。強者が弱者に対して掛ける言葉ではありません。

このケースにおいて強者が弱者に掛けられる言葉はありません。立場も人格あまりにも違うために絶対に理解しあえないからです。なのにこれはお互いに口出ししてしまってる。まず、断言しますが先に口出しをした筆者が悪いと考えています。
しかし、あのような反論を返してしまえば、それを読んだ筆者は彼が言うところの人間のエゴに更に曝されることになります。そして彼の絶望は深まり、この世への憎悪が増すことでしょう。反論すること自体が地雷以外の何者でもありません。だからと言って同情して同調しろとも言えません。

これを読んだ人も不快感を示す方は多いでしょう。でも黙っていて欲しかった。せめて反論せずにそっとしておいて欲しかった。この文章から発展する議論は誰も幸せになりません。たとえ、どんな議論を展開したとしてもこの人の怨みを消すことは出来ないでしょう。そして、そのような結末を迎えれば議論をした人も消耗するだけです。この文章はどこも救いがありません。誰も救われません。そのあまりの救いのなさに私は絶望感に苛まれることになったのです。このような救われない自体がせめて私の周りからでも減ることを願いこのような駄文を記します。

話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選

年末恒例企画が、年始めと出遅れてしまった。

これで昨年を振り返り本年のアニメへと繋げていければと思う。

 

アイドルマスターシンデレラガールズ

23話『Glass Slippers』脚本:土屋理敬 コンテ:舛成孝二 演出:益山亮二 作監:古橋聡

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『頑張ります』『怖いよぅ』『笑うなんて…笑顔なんてだれでも出来るもん』『なにもない、私にはなにもないよ』

土屋さんのあまりにもストレートなセリフ回しにも驚かされたが、ニュージェネレーションズの距離感にも驚かされた。『また、みんなで頑張ろう』などというだれかに助けてもらう甘い展開を許さず、再度しまむーが一人で立ち上がるために行動するミオと凛。しまむーが抱えている問題を眼前に提示し、彼女が再び立ち上がるために奮起をうながす。個々が独立して仕事を獲りに行くアイドルだからこそ、立ち止まったときは一人で進めるようにならなければならないというような姿勢は高雄監督のプロ意識そのものではないか。前作の無印とデレマスが一線を画する作品となったのは底にあるアイドルとしてのプロ意識の認識の違いだ。そのプロ意識の高さこそ本作の持つ最大の魅力だった。なにもないしまむーがなにもないままに、希望も提示されず、それでもアイドルとして一人で生きていこうとするエピローグ、これが本作のテーマである。そして、エンディングは現実に生きる私たちに対してもきっちりと希望を示した見事な締めだった。なにもなくとも生きねばならぬし、なにもなくとも夢に近づくことは可能なのだ。

それと、渾身の泣きカットは林勇雄との噂。『泣きの林』

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

2話『彼と彼女の告白は誰にも届かない』脚本/菅正太郎 コンテ/及川啓 演出/嵯峨敏 総作監/貞方希久子 藤崎賢二 作監/辻上彩華 山本篤

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『あなたのそのやり方とても嫌い』『人の気持ちもっと考えてよ。なんでいろいろわかるのにそれがわからないの』

竹林の中の告白のカットの重ね方が神がかってた。カット数を費やしていい場面で贅沢にカットを重ねる。抜群のレイアウトに手の心情描写の上手さでキャラの心情を細大漏らさず伝える、これぞ演出。テレビアニメの最高峰として位置づけられる一話。

 

Fate/stay night [Unlimited Blade Works]

#25『エピローグ』脚本:ufotable 絵コンテ:三浦貴博 演出:三浦貴博 竹内將 作監:茂木貴之 田畑壽之 塩島由佳

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オールタイム・ベストクラス。あまりにも脚本構成が美し過ぎて言葉もない。背景は緑が本作が行き着いた倫敦でのつかの間の安寧の日々を演出していた。zeroの頃の公園の緑を見ていたときから思っていたが、ufotableが織りなす緑は美しい。倫敦の背景の美しさ、全カットかわいらしさ溢れる凛と二年経ってアーチャーに近づきカッコ良さが増してる士郎の気合の入ったキャラ修正、練りに練られた脚本、UBWで最も美しかった撮影、集大成としての最終話だった。『空の境界extra chours』に並ぶ完璧なエピローグ。

 

SHIROBAKO

23話『続・ちゃぶだい返し』 脚本:吉田玲子 コンテ:許琮 菅沼芙実彦 演出:倉川英揚 太田知章 作監:大東百合恵、秋山有希、川面恒介 武田牧子、容洪、朱絃沰、西畑あゆみ

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ラストの宮森の泣きは石井百合子さんの作画。泣きの石井。

すべてがこのカットのためにあり他のすべてが前座。

 

旦那が何を言っているかわからない件 2スレ目

7話『カオルと旦那』コンテ:永居慎平 演出:岩崎知子 作監:馬場竜一

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『運命って信じるか』『悪いことがあったら良いことがあるに因果関係はねえよ』『幸せになったらいつまでも幸せでいろ』

上のカットからラストのカオルとの『運命があるって思わなければ、この幸せに耐えられない』って心情台詞への繋ぎが良かった。公園の噴水を神秘のものとして作画し、それを見つめながら運命について語り合う二人。目の前のものを否定するような会話をしながら、それに見惚れる二人の関係性が味わい深い。

響けユーフォニアム

第八回『おまつりトライアングル』 脚本:花田十輝 コンテ・演出:藤田春香 作監:秋竹斉一

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『久美子ってやっぱり性格悪い』『これは愛の告白』『特別になりたい』

この回を幾度と無く見直して思ったことは、やはり肝はワンピースの青の美しさにあるということだ。ワンピースから伸びる脚、露出された肩、翻り風に靡く裾、演出のすべてがワンピースに詰まっていた。衣服に依存する演出というのはよくあるが、ここまでこだわり利用するというケースはなかなか稀有ではないだろうか。撮影のレンズのボケ味の美しさと相まって麗奈のグラビアのようなカットが際立つ。女の子の美しさを捉えるという点では三好さんのラインに属する演出家にも思えるが現時点で独自路線を開拓している。際立つだけに使いドコロが難しい演出家になりそうな印象がある。それにしてもこういう回と秋竹さんの相性は抜群だ。藤田さんとの名コンビが生まれたときでもあるかもしれない。

 

放課後のプレアデス

8話『ななこ13』脚本:浦畑達彦 コンテ:春藤佳奈 佐伯昭志 演出:玉田博 作監:橋口隼人 空賀萌香

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演出の真髄は時間経過のコントロールにある。『トップをねらえ!』と同じウラシマ効果を題材に扱ったこの回の素晴らしさは、時間経過の演出にある。すれ違う時間の中で違う時間軸を辿るものたちがなにを思いなにを感じるか。長大な時間の中で思いが交錯した一瞬で彼女たちは繋がり再び同じときを共にする。そこに詰まる思いの浮き上がらせ方が見事だった。

 

夜ノヤッターマン
第1夜 「世界は真っ暗闇」脚本:ふでやすかずゆき 絵コンテ・演出:吉原達矢 作画監督:後藤圭佑 櫻井拓郎 小野田貴之

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吉原監督やる話数にハズレ無し。こういう旅立ちまでのプロローグをやらせてつまらないものをつくるわけがない。予想外だったのはふでやすさんの脚本とは思えないほどに切れがあったことか。王道を王道のままにおもしろくつくれるのは演出家としての確実な力量を示すもの。そして吉原組の作画は相変わらずはっちゃけている。だからワンクールもたないのだと苦言を呈したくなってしまうのが玉に瑕。そろそろ劇場を軸に活動してもおかしくない人なので注視しておきたい。

 

ローリングガールズ

6話『電光石火』 絵コンテ:村田俊治 佐藤陽 演出:若野哲也 作監:長谷川早紀 佐藤誠総作監:北田勝彦

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オールタイムベストクラスの傑作回。クライマックスの自転車作画で見せたズラした重線で躍動感を表現する線のブラシ方が非常に上手かった。シナリオ、音楽、作画がお互いに引き出しあったとき凄まじい表現が生まれる『これがアニメだ』と叫びたくなる大傑作回。

 

Charlotte

第一話『我他人を思う』脚本:麻枝 准(Key/ビジュアルアーツ) 絵コンテ・演出:浅井義之 作画監督:中村深雪・杉光 登

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文句なしの最高の一話だった。トラックをヒロインに突っ込ませるシーンは洒落にならないので如何にギャグとして成立させるかが肝になる。そこの処理が驚くほど上手く出来ていた。出々しでどうやって掴むかというのが一話の最大の課題になるが、その回答が見事。ファーストカットのカッコ良さ、主人公のセリフ回し、行動と言動のギャップ、麻枝さん特有のチグハグしたところがマイナスに見えないように演出できっちりカバーしてる。丁寧かつ計算された仕上がりに敬服する。

2015年版 傑作選+傑物(不定期更新)

・人物名に作品がついているものは作者の傑作と思うものを記している

 アニメ

武本康弘-『氷菓』『らき☆すた

高畑勲-『じゃりン子チエ』『赤毛のアン

蟲師』(長濱博史)

今敏-『東京ゴッドファーザーズ

押井守-『機動警察パトレイバー』『ミニパト』『イノセンス

中村亮介-『あいうら』『四月は君の嘘』OP

新海誠-『言の葉の庭』『秒速5センチメートル

渡辺信一郎-『COWBOY BEBOP』『スペース ダンディ』

宮﨑駿-『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『紅の豚

 ゲーム

『ランスシリーズ』(アリスソフト

森崎亮人(シナリオライター)-『キスアト』『ハピメア』『Re:birth colony -Lost azurite-』

丸戸史明シナリオライター)-『世界でいちばんNGな恋』『WHITE ALBUM2』『パルフェ ~ショコラ second brew~』

大図書館の羊飼い』(August)

鬼哭街』(Nitroplus

 『SWAN SONG』(Le.Chocolat meets FlyingShine

 漫画

きゆづきさとこ-『GA-芸術家アートデザインクラス-』『棺担ぎのクロ

谷口ジロー-『孤独のグルメ』(原作・久住昌之

ベイビーステップ』(勝木光

岡田コウ-『好きで好きで、すきで』『Aサイズ』

関谷あさみ- 『your dog』『僕らの境界』

ドバト-『少女とギャングと青い夜』

『僕のヒーローアカデミア』(堀越耕平)

秋枝-『煩悩時』

『東京喰種』(石田スイ)

小山宙哉-『宇宙兄弟

冨樫義博-『HUNTERXHUNTER』『幽遊白書

 ラノベ

ソードアート・オンライン』(川原礫)一巻

龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』(鳳乃一真)七巻

『冴えない彼女の育て方』(丸戸史明)七巻

魔法科高校の劣等生』(佐島勤

イリヤの空、UFOの夏』(秋山瑞人)作中の『無銭飲食列伝』は傑作中の傑作

フルメタル・パニック』(賀東招二

僕は友達が少ない』(平坂読)CONNECT

問題児たちが異世界から来るそうですよ』(竜ノ湖太郎

境界線上のホライゾン』(川上稔)Ⅶ下

ノーゲーム・ノーライフ』(榎宮祐

マルドゥック・スクランブル The 2nd Combustion』(冲方丁

 2015 アニメ単話傑作選のためのメモ

『ローリングガールズ』

2話『世界のまん中』コンテ/出合小都美 演出/川端喬 青柳宏宜 作監/田中春香 山村俊了 松岡謙治 世良コータ 小沢久美子 志賀道憲/アバンなしでOPブルーハーツ、頑張れ超かわいい、燃え萌えのOP、本編は相変わらず凄まじい作画回

6話『電光石火』 絵コンテ/村田俊治 佐藤陽 演出/若野哲也 作監/長谷川早紀 佐藤誠総作監/北田勝彦/オールタイムベストクラスの傑作回。10選入りが早くも確実。クライマックスの自転車作画で見せたズラした重線で躍動感を表現する技法は今まで存在していたのか知らないが進歩的な表現だった。シナリオ、音楽、作画がお互いに引き出しあったとき凄まじい表現が生まれる『これがアニメだ』と叫びたくなる大傑作回。

『冴えない彼女の育て方』

0話『愛とサービスの温泉回』 脚本/丸戸史明 絵コンテ・演出/亀井幹太 作画監督/高瀬智章/サービスにかける情熱、脚、尻、胸派の原画マンたちのキャラによる代理戦争、うさドロの亀井はもう捨てたと主張する滾りまくりの高瀬作監

6話『二人の夜の選択肢』 脚本/丸戸史明 絵コンテ/亀井幹太 演出/川越崇弘 作監/吉井弘幸/過去回想のクロスカット、レイアウトがかっこよく演出、撮影が最高

『アルドノアゼロ』

EP14『異星の隣人たち』脚本/高山カツヒコ コンテ/古川浩司 演出/南川達馬 作監/丸岡功治 福地和浩 成松義人 垣野内成美 サトウミチオ/1クール目はこの話のためにあったといっても過言ではない

艦隊これくしょん

三話『W島攻略作戦』 脚本/吉野弘幸 絵コンテ/玉木慎吾 演出/玉木慎吾 作監/本多美乃/鋼の艤装は戦うために高鳴る血潮は護るために秘めた心は愛するために、逆光の朝日の撮影が完璧な玉木演出回

『SHIROBAKO』

18話『俺をはめやがったな』脚本/浦畑 達彦 コンテ/高村章 演出/熨斗谷充孝 作画監督/しまだひであき 松坂定俊/万策尽きたラストカットのために逆算された演出の矢野さん回

22話『ノアは下着です』 脚本/横手美智子 コンテ/倉川英揚 演出/菅沼芙実彦 作画監督/秋山有希 川面恒介 今泉賢一/居酒屋を三組のカットバックで見せる演出を深夜アニメで見れると思わなかった。僕が大好きな居酒屋回はTV版『機動警察パトレイバー』14話押井守脚本回(居酒屋ではなくおでん屋台だが)。酔っ払って管を巻く姿がたまらなく愛おしく、あの話でキャラクターのリアリティが一段引き上げられた。SIROBAKOは随所で酒の席が入っていたが、この回はその集大成とも言えるだろう。平岡くんに幸あれ。この回でリアルに寄り過ぎたために、23話の中盤、木下監督がウェスタン風味で夜鷹書房に乗り込むシーンがあったと考えるのが妥当で、そういう意味で23話の跳躍のための助走としての22話という意味もある。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』

2話『彼と彼女の告白は誰にも届かない』脚本/菅正太郎 コンテ/及川啓 演出/嵯峨敏 総作監/貞方希久子 藤崎賢二 作監/辻上彩華 山本篤史 /竹林の中での告白シーン、戸部の『負けないからな』と雪乃の『あなたのやり方嫌いだわ』の作画にしびれた。そして絶妙なカットの切り替え、演出の嵯峨さんの仕事に今まであまり注目してなかったが最高の仕事だった。特に八幡が海老名さんに告白して雪乃たちの元へ戻るシークエンスは職人の技という他ない。全体的にカット数が多かった印象があるが、及川さんのコンテは細かく感情を拾っていて、それがラストへの積み上げになっている。難しい作画の芝居をやり切った作画も見事。手の芝居に心打たれた。特に八幡が自分と由比ヶ浜へ言い訳しているシーンの手の芝居はキュンキュンきた。田中雄一の繊細なキャラデザを活かしたかわいい作画をやり切っているのも演出も素晴らしい。私が最も好きな7巻の原作を最高のアニメにしていた。文句なし。

Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』

#25『エピローグ』 脚本:ufotable 絵コンテ:三浦貴博 演出:三浦貴博 竹内將 作監:茂木貴之 田畑壽之 塩島由佳/オールタイム・ベストクラス。UFO最高の背景は緑だ。zeroの頃の公園の緑を見ていたときから思っていたが、UFOが織りなす緑は美しい。倫敦の背景の美しさ、全カットかわいらしさ溢れる凛と二年経ってアーチャーに近づきカッコ良さが増してる士郎の気合の入ったキャラ修正、練りに練られた脚本、UBWで最も美しかった撮影、集大成としての最終話だった。『空の境界extra chours』に並ぶ完璧なエピローグ。

『夜のヤッターマン

第1夜 「世界は真っ暗闇」脚本:ふでやすかずゆき コンテ・演出:吉原達矢 作画監督:後藤圭佑 櫻井拓郎 小野田貴之 作画監督補佐:普津澤時ヱ門 渡辺奈月

フルメタル・パニックのすゝめ

 賀東招二著作『フルメタル・パニック』シリーズを読み終えた。『フルメタル・パニック』シリーズは1998年に始まったシリーズで、12年に渡って続いた長期のシリーズだ。

ラノベ史に残る大傑作と言って間違いない作品で、近年ラノベを読み始めた人には是非読んでもらいたい作品でもある。今読んでも全く色褪せないギャグで大いに笑わせてくれながら、本筋の物語は陰影が濃く、設定が細かく、読者を唸らせるものになっている。アニメ化もされていて、制作はかの有名な京都アニメーション(『けいおん!』『氷菓』など)。京都アニメーションが手掛けた『フルメタル・パニック?ふもっふ』は『フルメタル・パニック』の外伝シリーズをアニメ化したものでギャグ・コメディを中心としたアニメになっている。特筆すべきは『フルメタル・パニック?ふもっふ』が京都アニメーションの初の制作元請け作品であること。『らき☆すた』『氷菓』で有名な武本康弘監督の初監督作であり、賀東招二武本康弘の出会いの作品であることも忘れてはならない。

後の傑作『氷菓』は監督武本康弘、脚本賀東招二によって手掛けられる。私が知る限りにおける史上最高傑作TVアニメーション氷菓』は『フルメタル・パニック』なくして生まれなかっただろう。

このような事情を鑑みるに、京都アニメーションを語る際『フルメタル・パニック』は決して外してはならない作品であることは間違いない。堀口悠紀子(『けいおん!』キャラクターデザイン・総作画監督)が動画でクレジットされていたり、『響けユーフォニアム』の美術監督鵜ノ口譲二の美術監督作品であったり、ゆかなさんの萌えを意識したような演技、『フルメタル・パニック?ふもっふ』のOPで既にカメラが回転しているなど、多様な見所と今見るからこそおもしろいところが多い。

また本編をアニメ化した『フルメタル・パニック!The Second Raid』も存在する。しかし、これは少々複雑なアニメ化で初見でいきなり見るということが少々厳しい。second Raidという名の通り京都アニメーションが手掛けたのは二期にあたるものになる。ファーストシーズンの制作はGONZO。『Fate/staynight』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』などでも見られるように一期と二期で制作スタジオが違うのはたまにある。その点を留意しておく必要があるだろう。

京都アニメーション制作のSecond Raidを視聴する際は、一期を見るか原作を読んでからが望ましい。シナリオを気にしないという場合は気にする必要もないから、とりあえず見てから決めればいいだろう。テレビでやってる映画を途中から見てもある程度楽しめるように、これもまたある程度楽しむことが出来るはずだ。おもしろいと思えば読むなり見るなりすればいいだけの話で、とりあえず見ることから始めてもらいたい。私としては『フルメタル・パニック?ふもっふ』から見ることを薦める。特に7話『やりすぎのウォークライ』は傑作。作画的にもシナリオ的にも京都アニメーションの歴史上に残る一話。ふもっふは事前知識なしで見ても楽しめるのでオススメ。ちなみに現在はdアニメストアでも配信中。

Let's search evil

 世の中おもしろいものが溢れている。だが、時間は有限だ。ゆえに重要なのはおもしろいものを選択的に見ることだ。つまらないものをいち早く切り捨てる決断力とおもしろいものを見極める判断力が一個人においては非常に重要になる。

私にとって趣味はもはや生きていくのに欠かせない活力の確保手段となっている。おもしろい作品を見れば生きてて良かったと思うし次のおもしろいものと出会うために生きたいと思う。だが、おもしろいものがなければ生きているのがめんどくさくなる。

このような自己認識をしているために私は快楽主義者を自認している。快楽主義者とは詰きつめれば、おもしろいものがなければ生きていられない者たちのことだ。自身の快楽のために生きている。それゆえに快楽のために死ねる。しかし、生きていなければ快楽を味わうことは出来ない。

このような状況を理解した上でおもしろいものを探求する最適戦略が求められるが、趣味に命を懸けているような人種はこれと似たような認識で生涯に渡って趣味を極めようとしていると思う。

はじめに言ったように最重要点は時間がないことだ。人生とは時間との闘いとも言えてしまうだろう。時間を有用に使うことが出来れば満足の出来る人生を送れるだろうし、それが出来なければそうならないだろう。結果的に現状に満足しているならば、それは有用な時間の使い方が出来たということでそれならばそれでいいのだが、何かを探求する上では時間的期限を意識した上で時間を有用に使う戦略を立てなければ満足のいく探求を成すことは難しいと考える。それを私の趣味のことで言うならばつまらないものに使う時間を極力減らすことに当たる。つまらないものを見なければわからないことは存在するが、それすらも有用な時間の使い方に組み込む必要があるということだ。アニメで言うならば1クールに一本はつまらないと思うものも視聴リストに入れておく、漫画で言うならば雑誌は最後まで流し読みでもいいから読むということになる。しかし、再び強調しておくがつまらないものは最低限の時間しか取らないということ忘れてはならない。つまらないものに取る時間ほど無駄なものはない。つまらないと思えばさっさと足を洗って別のものに時間を突っ込むことが重要だと強調しておきたい。そのためにフットワークは常に軽くあらなければならないし、様々なものに目を向ける意識をもつ必要もある。

”切る”という言葉がアニメや漫画を見る者たちの間ではよく使われる。”1話切り””途中で切った”などと言うように、止めるという意味を指すが、ほんとうの意味で切ることが出来なくなった者が多くなったように思う。端的に言うならば”~はつまらない”などということを表明することになんの意味もない。継続的な視聴に耐えない、もしくは時間的な無駄を省くために”切る”ことを選択したはずなのに、なぜ”~はつまらない”などいうことを時間の浪費をしてまで行うのか。

”切る”のならば時間的にも意識的にもそれを出来る限り外す必要がある。それは(時間と意識を)”割く”ことを忌避し”切る”ことを選択した行動に反する行いでしかない。

”切る”ことの意味を認識してもらったその上で、”切る”という行為の意義を問い直す必要があると私は思う。

現実でストレス溜めて、ゲームでストレス溜めさせるな-『ノベルゲー万歳』

アリスソフトのメインタイトル『ランスシリーズ』の第六シリーズ『ランス6-ゼス崩壊』をプレイしていたが、もうめんどくさい。ランスシリーズは変則的にプレイしていて、7,8,9シリーズはプレイしているがそれ以前はやってない。この三作にかけた時間は500時間は下らないだろう。だが、集中的にランスシリーズをプレイしていたのではっきり言って飽きた。もうしばらくRPGはやりたくない。というか一生分やった。もう一生こんなジャンルやりたくない。俺は文章だけを読んでいたい。なんでしちめんどくさい戦いを自分で操作してやらなければならないのか。そんなもん全部字面でやればいいじゃないか。それが嫌なら動画にすればいい。そもそもバトルシステムなんてものとシナリオを混ぜようという考えがおかしいのだ。シナリオだけ読ませろというに。RPGの戦闘パートが嫌いな人間のためにシナリオオンリーシステムを実装すればいいのに。

バトルが目的でシナリオは添え物程度の格ゲーなんかはその存在意義はわかりやすい。戦うゲームというコンセプトに格ゲーは殉じてる。それと比してRPGはいったいなんだ。シナリオメインのくせにシナリオを読ませやがらない。よけいな手間を掛けさせる。まるで面倒な女だ。そのくせいい女ほど面倒になりがちなところがある。口説くにしてもきちんとした手順を踏むのがマナーだとはわかっているが、それはこらえ性のない俺の質からするととんでもなく面倒だ。だったら、俺はいい女の娼婦を探す。同じいい女なら多少金が掛かったとしてもそちらのほうが楽で時間も取られなくていい。貞淑な女もいいけれど、お互いに遊びの関係を築けるならばそっちのほうが楽だ。気安さや気楽さを求めたい関係もある。俺にとってゲームはそんな程度でいい。遊び、なのだから。時間も手間も極力省いた関係が最も楽で気持ちいい。

娯楽心中

近況として書きたいけど書けないことがある。でも、これは数ヶ月経って過去を振り返って笑い話にでもしたいことで、そうするためにも現状をなんとかしなければならない。

こんな状態でも本を読むのはやめてない。そうすると今だからこそ読んで刺さる本と出会うことがある。少々つらくめんどうな状況に追い込まれているからこそ読んでいて価値を感じる本というのは多い。今の自分のために書かれたような本や歌というのは過去を振り返ったとき記憶の手掛かりとなるもので、そういうものは個人においてとても大事なものとなる。やらなければならないタスクが多い状況では、本を読むことや音楽を聴いている暇は少ない。だけど、そういうときだからこそ出会うことに意味や価値があるものがある。

この二律背反は娯楽においてとても重要な問題だ。だれかを励ますためにそれを書いている作者がいたとしても、その人たちは目の前のことで忙しいためにそこになかなか届いてくれない。

つらいときだからこそ、無理をしてでも娯楽に触れる時間をつくることに価値がある。

娯楽に埋もれて生きてきた私は、つらいときこそより深い物語への共感を生むことを経験的に知っている。未来への不安は物語の最大の共感を生む武器だが、不安は現実の最大の敵である。不安をテーマとする作品の難しさは共感してもらえるかという点もあるが、それ以上に不安を抱えて生きている人に対して作品が届いてくれるのかというほうがより問題になると思う。

私の場合、大きな不安を抱えているときだからこそ様々なものを見て聴いて知りたいと思うが、時間的精神的な問題から制約が生まれてしまい満足いく水準まで埋もれることができない。余裕と不安のバランスは作品と向き合うとき重要な心理的要因である。それをある程度コントロールできればよりおもしろい視座を得ることが叶う。

そういうものまで娯楽に利用することを意識的に考える自分に対して病的なものを感じなくもないが、これも娯楽を中心に生きてきた自分の性なのだろう。娯楽とともに生きてきた人生だから、このまま娯楽と共に生を全う出来ればと思うが、これは果たして叶う願いなのか今のところ不明である。