ゆゆ式 そんなファンタジー
あの感覚はなんだろうか。
原作ファンとして楽しみにしていた自分がいた。
原作ファンとして満足していた自分がいた。
おもしろいと思っていた自分がいた。
でも、楽しめない自分がいた。
ゆゆ式、そんなファンタジー
そう、ファンタジー
ファンタジーは直訳すると幻想
ゆゆ式の世界はファンタジー。あの世界は現実にはありえない。
もしかしたら現実にあんな女子高生もいるかもしれない。でも、それは俺が持っている世界観ではあり得ない。だから、俺にとってゆゆ式の世界はファンタジーでしかない。
でもそれでいい。現実をみたいわけじゃない。アニメで現実なんてみたくない。
だからファンタジーのゆゆ式でいい。でもあの世界は少し違う
自分のなかでしっくりこなかった。
それはなんでだろうか。原作ファンとしてあのゆゆ式はよく出来ていたと思う。理想のゆゆ式のアニメ化だと思った。
だから理解した。俺のゆゆ式はアニメで存在できないと。
ゆゆ式は読むのに時間がかかる。一巻一時間以上かかる。もっと早く読もうと思えば読めるが、ゆゆ式の世界に浸るためにはそのくらいの時間がかかってしまう
人にはそれぞれリズムがあると思う。自分にとって心地のいいリズムというのは人それぞれ違う。
そして、そのリズムは向かい合っているもの毎に違う。漫画を読むとき一コマにかける時間、次のコマにうつるタイミング、ページを捲るタイミング。キーボードを打つときのスピードとリズム。文字を読むときのスピード。歩く早さ、足を出すタイミング、リズム。
それは実際にやってみないとわからないことであり、やっていくことで自分のリズムを理解していき最適化する。
読み方がわからない漫画がある。どういうスタンスで、どういう気持ちで読んだらいいのかわからないときがある。
自分の気持ちのチューニングをしないと楽しめないものがある。
政治学の勉強のあとに漫画を読むとする。すると大抵の漫画の世界に入れない。気持ちの切り替えの早い人ならすぐに世界観に馴染むことが出来るかもしれない。でも俺にそれはできない。一度気持ちを切り替える必要がある。
勉強していて全く頭に入ってこないことがある。そういうときコーヒーを飲むとスイッチが入って切り替えられる。
そういうのがチューニング。
俺が4コマ漫画を読むためには、普通の漫画を読むときとは違うチューニングをしなければいけない。それは自分の中で合わせるものだ。
アニメを見ていて気付いた。これは漫画を読む時とは別のチューニングをしなければいけないと。俺が持っていたゆゆ式の世界観とアニメはまた別のものだった。
端的にそれを表現するなら、あの世界は早かった。
どんどん世界が切り替わっていく。その切り替わりのスピードが早いのだ。漫画を読んでいるときの5倍以上の早さはある。そのスピード感こそが現実だ。俺がそれに合わせられてない。
話が理解が出来ないわけじゃない。そういうのではなく、話を咀嚼できないのだ。俺にとってのゆゆ式は噛めば噛むほど味わい深くなる食べ物のようなもの。
あのアニメでは味に深みが出る前に飲み込んでしまっている感じがしている。追いつけない。
俺にとって漫画のゆゆ式はもっと遅いものだった。彼女たちをゆったりと眺める観客だった。
あそこにあるのはかおり監督や高橋ナツコさんがつくりあげたゆゆ式で、それは俺の感じていたゆゆ式とは違った。
ゆゆ式の女の子たちが現実に存在するとしたら。アニメではそうなってしまっている
ファンタジーだったゆずこたちが現実に近づいている。
それはしゃべっているせいかもしれない。動いているせいかもしれない。そのせいでそう錯覚しているだけかもしれない。アニメ制作者たちは、ゆずこたちをファンタジーの存在として描こうとしているのかもしれない。
でも俺はそう見れなかった。
だから、この世界に馴染む必要がある。それを完了するのは一体いつになるだろうか
少なくともひと月はかかる気がする。
理想はそこにあった。こうあってくれという願いが叶ったアニメだった。
でも、それは俺の思っていたものとは違った。
少しだけ歯車が噛み合ってない。でも、それもゆゆ式っぽい。
そう、総じてゆゆ式っぽくなっている
ルールが破綻していくなかで新しいルールが構築される。それを短い時間のなかで何度も繰り返す。それが俺にとってのゆゆ式のルール。
ルールが変わる中で俺に合うゆゆ式になることがあるだろう。でも、そのルールはすぐに変わってしまうだろう。
だから、俺は追いかけなければならない。でなければすぐに引き離されてしまうから
継続的にチューニングをしなければ楽しめない。それは少し疲れる作業だ
でも、この後追いしていく感じは心地が良い。追いかけた先になにがあるのか。
なにもない
あの子たちがだらだらとしているだけだ。でも、俺はそれが見たい
だから、追いかける。
そうして思うのだ。
「ああ、俺が見たかったゆゆ式はここにあった」