ギャルゲー好きの悲恋

私はギャルゲー好きです。正確にいうとエロゲー好きですけど、これ突き詰めたら女の子と付き合いたいってだけなんですよ。少なくとも私においては。ただ、この女の子と付き合いたいという気持ちは細かく説明しなければならないでしょう。私はここにおいて妥協したくない。容姿も正確も妥協したくない。なんとなくで付き合いたくない。それが時間の無駄に思える。自分が相手を求める気持ちがなければ付き合いたくはないです。まあアプローチかけられればすぐに惚れてしまう(勘違いまである)ので、相手を求める気持ちは簡単に出てきます。でも、アプローチかけられてないときのプライドがなぜか高い時期、俺今だれとも付き合うつもりないんだよね的な時期においては理想は高く持ってます。一つ間違いないのは、ギャルゲーのせいで理想が上がっています。私もギャルゲーでこじらせてしまった質ですが、厄介なのはリアルに接近するギャルゲーです。ラノベ的なんだけどやけにリアルな小説のようなもの、それがギャルゲーマーたちをこじらせる原因をつくりました。私小説で理想の萌えを見つけてしまった、そんな感じでもありましょうか。型にはまったラノベは型にハマったキャラクターしか出て来ません。自然主義文学の定義者である自然主義小説家エミール・ゾラ自然主義の特徴を「人生の正確な再現とあらゆる現実離れした要素の欠如とにある」と言っていますが、私がこじらせた原因をつくったのは自然主義に近づいていったギャルゲー郡です。人間の行動の正確な再現、それがラノベのキャラクターを現実に近づけます。そして、現実の人間というのは型にハマってくれません。予想外の言動や行動ばかり取ります。そこに予測が成り立ちにくいです。登場人物の非予測性がラノベにおける自然主義の鍵だと思ってますが、そういった作品がギャルゲーの中でも出てきてます。

もう理想の女性がそこにいるんです。一般小説を読んでいて理想の女性を見つけてしまったときの感覚。そこにいないのはわかってるけど、現実にいるかもしれないと思わされる感覚。それがギャルゲーにもポツポツと出てきています。現実とギャルゲーが接近する。萌えとリアルの接近。その接着点に理想の女性がいて、それを見てしまったから現実の理想が上がってしまう。ギャルゲーをやってる間は幸せですけど、後々どうしても妥協的になってしまうのが玉に瑕です。そしてそれは男側だけでなく、女性側にも出てきている現状のはずで、相手は妥協してくれているのだからこっちが文句言える筋合いなんてねえよなあ、と卑屈になっていく自信ない系の男子ですから妄想程度にこんなことを書いて気を吐くのです。

ちなみにここに書いたことは全部嘘です。私は嘘つきですから。