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Twitterやめた

自分語り

Twitterに殺されると思ったんです。いやTwitterやってる自分が無理し過ぎていて死ぬと思ったんです。ブログも同じなんですけど、ネット上に公開することって人に見られることを考えなければいけないわけで、それは自分にだけ伝わればいいものでは許されなくなってしまう。そんなことを気にしなければいいだけのことなのかもしれないけど、俺はそこまで開き直れないから、自分である程度”価値がある”と思った情報を書こうとしてしまう。それを意識することはないけど、当たり前にみんなやってることで俺もそれを当たり前にやっている。だけど、それって無理をしていたんです。そもそも、俺の中で人にみせられる価値のあるものって基準がなかった。俺が記事を書くときは自分の”気付き”を書くようにしてて、それを中心に記事を構成してます。この記事も同じで、俺が思っていることプラス気付きを書くことで、人に見せてもいいと納得できるものにしてます。これはブログでやろうと思ったら結構簡単なんです。俺はブログで1000文字以上書くことが普通です。長文は情報量多いですから、その分だけ自分の思いや気付きも入ってるわけです。だから、たとえ気づきや自分の思いが薄くても人に見せてもいいと納得出来るラインに到達しやすい。質より量ですね。

でもTwitterはそれが出来ません。俺はTwitterで「帰ってきました。ただいま」「カラオケ楽しい」みたいなことを書くのが嫌でした。その情報に価値はないと思っていて、だったらそんなものはツイートするべきではない。私生活を明かしたくないという気持ちも相まって、そういうをツイートしたくなったときでもそれは出来る限りしないようにしてました。Twitterなんて自由に使えばいいと思ってるので他人がどんなツイートしようと勝手だと思ってますが、自分でそれはしたくないわけです。でも、これ封じたら自分でツイート出来ることってほとんどなかったんです。お世辞にも頭がいいと言えるほうではないですし、普段あまりものを考えてない人間なので価値のある情報なんてツイートなんて出来なかった。他人からどう見えてたのかは知らないです。自分が納得できるラインに自分のツイートのレベルがいってなかったんです。それはブログでも同じで、未だに自分がほんとうに納得できる文章というのは書けたことがありません。質を量でごまかして自分を納得させてきたわけです。でも、それにずっと気付いてましたし、それを誤魔化せるのも限界がきてました。自分自身をもっとレベルアップさせなければならない、もっと勉強しなければいけない。そんな焦燥感だけが自分の中に澱のように積もっていってました。それが4年くらいTwitterを続ける中で限界に来ました。ブログを更新しなかったりする時期があるのもそれが原因で、人にみせられる自分でなければならないという気持ちからネット上で文章を公開することが嫌になりました。

でも、それでブログはやめられてもTwitterはやめられませんでした。さっき書いたこととは少し違いますけど、Twitterは140字の制限があるわけですから内容を詰め込むのにも限界があります。とすれば、自ずと自分が納得できる価値のある情報のラインも下がります。加えてTwitterSNSです。コミュニケーションする場所です。人とコミュニケーションすることはそれだけで価値があることだと思ってるので、リプライの場合は返すだけである程度の価値があると考えてます。しかもコミュニケーションは麻薬です。自分と趣味の合う人たちとネット上とはいえコミュニケーションを図るのはそれだけですごく楽しい。楽しいから長くいてしまって、時間が多く取られてしまう。だから俺はTwitterをやめようと決意しました。自分自身で納得の出来る価値のある情報を生むには、それだけ勉強が必要になります。だけど、その時間がTwitterなどで取られてしまう。文章を書くことが一つの勉強ですから、無駄とは思いません。ですが、そこに時間を使い過ぎると他が疎かになってしまいます。勉強は掛けた時間の分だけ返ってきます。効率も重要ではありますけど、時間が最重要事項です。その時間を確保するためにTwitterをやめました。ただ、やめなければと思ってから1年以上掛かりました。自分の意思が弱いのはわかってましたけど、Twitterの中毒性を実感できました。

たぶん、同じようなことを考えてる人は多いでしょう。Twitterをやめなければならないと言ってる人はTwitterでよく見かけました。ですから、これも当たり前なことなわけです。俺だけの特別なことではない。ですから、やるかやらないかです。

「世の中には『出来る』ことと『出来ない』ことがある。同時に『する』ことと『しない』こともある。『出来る』『出来ない』の話は結論が出しやすいが、『する』『しない』の話は違う。それぞれの考え方で答えが変わってくる。選択によって人が表現されるということだ。」

「幸福に生きよ!」

「人は幸せになるために生きている。」

俺の好きな3つセリフです。あなたがどうやって生きるのか、どういう選択をするのか。それがあなたを表現します。どんな自分を表現したいのか。それと向き合うことで様々なものとの付き合いかたが見えるんじゃないでしょうか。俺は俺の表現したいことのために選択をしました。あなたも同じように選択をするでしょう。願わくばすべての選択が幸福なものでありますように。