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艦これ四方山田話

艦これやってます。

艦これの田中謙介プロデューサーは艦これを兵站ゲームと呼んでいます(4Gamer田中謙介インタビュー)。私は今までストラテジーゲームと呼ばれる類のものをやったことがなかったので、艦これをプレイしてかなり驚きがありました。キャラクターの戦闘での行動を指揮できないんです。ポケモンを思い浮かべれば分かりやすいんですけど、ポケモンは前線の行動(攻撃、道具、逃げる、入れ替わる)を指揮する戦術レベルを主に楽しむゲームです。対して艦これは、ポケモンで可能な前線の行動の指揮が不可能です。だれがだれをどのような方法で攻撃するかを選ぶことが出来ない。どのような艦隊を組んでどのような戦闘行動を構築するかという戦略レベルでのことを大まかに組むことは出来ますが、前線において指揮官であるプレーヤーが介入することは出来ません。インタビューでも言っていますが、指揮官に任せられるのは一旦戦闘が落ち着いたときに”進む”か”引くか”の選択だけです。前線の行動を支配できずに任せるしかないというのはストレスではありますが、その思うようにいかないモヤモヤした感情こそ指揮官に掛かるプレッシャーであり、指揮官であるプレーヤーが本来与えられなければならないものだったのでしょう。

しかし、艦これが一部で大ヒットしていますが、その事自体に時代の変化を感じざるを得ません。今読んでいる村上春樹ねじまき鳥クロニクル』にこんな一文がありました。第二次大戦のときの日本軍の話です。

いずれにせよ当時の帝国陸軍の召還で、石原ほど兵站問題に強い関心を持ち、また造形の深い人物はいなかった。たいていの軍人は兵站そのものを「女々しい」発想として捉え、たとえ整備は足りずとも身を捨てて果敢に戦うことが陛下の軍人の道であり、貧弱な装備と少ない人員で強力な相手に向かい、戦果を収めることが真の武勲であると考えていた。(ねじまき鳥クロニクル 第三部 鳥刺し男編 新潮文庫版336ページ)

過去の日本軍の噂は様々ありますが、それと比較してみてこの話が大きく間違っているということはないでしょう。

兵士に気合と根性と少しの(玉砕する)勇気があれば、戦略レベルで劣っていても大勢で勝利出来るという戦略思想です。戦術>>>>>戦略>兵站 といったところでしょうか。現代では、当たり前ですが戦略が頂点にくるピラミッド型になっています。勝敗は戦う前には大方決しているといったとこです。

合理主義がそれなりに根付いた現代では、兵站の重要性が当たり前に認識されており、前線で楽しくひゃっはーできない地味な兵站ゲームに人気が出てもおかしくない土壌は出来ていたということでしょう。

しかし、正直キャラクターの戦闘行動を決められないという違和感は未だ拭えません。RPGとかを中心にプレイしている人なども似たような違和感を持つんじゃないでしょうか。キャラクターで戦闘出来るのは当たり前というゲームばっかりやってきたことが原因ですね。今のゲームの大半の愉しみ方は主人公を操ってひゃっはーさせるわけですから、慣れない間は違和感を持つのも当然でしょう。この壁をいかに越えさせるかが、更なる拡大の鍵になるでしょうね。回転が早い世の中だからなにか仕掛けがないとすぐに飽きられてします。

いのちなき砂の悲しさよさらさらと 握れば指の間より落つ〈石川啄木

この詩の意味は説明する必要がないでしょう。これで喩えて考えるならば、艦これは握ぎられたばかりの砂です。艦これはブラウザゲーですからプレーヤーが毎日自発的にPCの前に座ってアクセスしてもらわなければなりません。このハードルは高いです。今はブームが来ていますし話題ですから意欲が高くみんなアクセスしてくれます。ですが、ブームが過ぎればどうでしょうか。そして、いつブームは終わるのでしょうか。艦これがこの先どうなるかは不透明です。3ヶ月先を想像してまだブームが終わってなさそうに思えますが、それが半年一年となると全く予測が出来ません。ユーザーが定着してくれるのかどうか。こういったゲームがここまで流行った前例が(私が知る範囲では)ないので、全くわかりません。果たして艦これというゲームがどこまでのものになるのか。プレーヤーとして楽しみつつ見ていきたいと思います。