もののけ姫

もののけ姫を始めてみた。俺は20代前半だけど、同世代でもののけ姫を見たことがないという人は少ない印象。日本人の3割以上は見てんじゃないかってくらい視聴者数多そう。日本アニメで興行収入100億超えてるのはジブリ作品だけというのは有名な話だけど、ウォルトディズニー作品が100億超えを二作品出してる。ジブリもディズニーの認知度には劣る。宮﨑駿は超有名だけど、ミッキーには勝てない。でもどっちもミッキー。

それで『もののけ姫』だけど、ナウシカってこんな感じだったなーと思い返しながら見ていた。84年にナウシカやって、97年にもののけ姫やったらしい。両作品の根幹にある宮﨑駿の思想みたいなのはあんま変わってないんだろうなあって見てた。

今もやってる『かぐや姫の物語』で高畑勲さんが地上に堕ちて穢れた天上人の罪と罰を描いてたけど、かぐや姫のラストは宮崎さんの作品に対する答えなんかが込められてたんかなとか考えたり。

ナウシカももののけ姫も主人公が人間離れした純粋さを持ってて、そんな突然変異みたいな人間のおかげでどっかの人間が犯した罪が許され地上が救われるって感じの話。大多数の人間が出す汚れを引き受ける少数の善人がいて、人間社会はそんな負債を出す人と必死に返済をするがなんとなくうまく循環して成り立ってる、って世界観を宮崎さんは持ってるように思えた。人間ってのは多様なもんで、極悪人もいればバカ正直な善人もいる。そんで普通の人に見える人も悪いことをするときもあるし良いことをするときもある。だから、そういうのに対して「良い人になりましょうよ」ってメッセージを送ってる感じなんだけど、そんなもん出来るわけがねえだろって明確な返答が出来てしまえる。両作品の主人公に通じるのは純粋性と書いたけど、この純粋性は完全に先天的なもので、今更この主人公たちのように生きましょう、なんて出来ないのが明らか。後天的に純粋性を獲得するのは不可能で、今更俺がアシタカのようになれるわけもない。

純粋に生きてれば報われるみたいな物語がつくられるけど、なにかそこには憎悪に対する憎悪が感じられる。憎しみからロクなものは生まれないと知っているから、憎しみを憎んでるような。

憎悪や呪いを生み出す人に向けて、憎悪は出来る限り減らしましょうねって言いたいんじゃねえかって思ってんだけど、それ自体が憎悪に対する憎悪から出来上がってしまってて、もはやどうしようもない感じもある。罪を憎んで人を憎まずというけど、憎しみを持つ時点で悪意は生まれる。悪意は人を荒ませるもので、その時点で負の循環はスタートしてるから、新たな負の連鎖は始まってしまいどうしようもない。

 かぐや姫はそこに対してすっぱりとした態度を取ってる。人間として生まれた時点で汚れてるという答えを出してて、それが宮崎さんの純粋性を崇拝するような作品への返答なのかなーとか思ったり。

もっとも、宮崎さんへの理解もジブリ作品への理解もないので、これも見当外れな見方でしかないんだろう。別に間違ってもいいと思ってるから俺は気にしないんだけど、ほんとうのことが知りたいと思う人はちゃんと自分で調べて下さいな。

 

作中気になったとこを箇条書き

・歩く音が気持ちいい。歩きから走りに変わる音がずば抜けてる

・動画枚数が増えるシーンが効果的

・一目惚れとは若いですね

・「汚れ」とかニュアンスで理解できるものは敢えて説明してないくさい。共通認識であり個人毎に認識が違うものは説明しないことで想像を膨らませてる

・二人出会いのシーンで口からピューッと血を吐き出すが、あれが美しいのはなんでだ。レイアウトのかっこよさ以上に血がかっこいい。あと血が黒くなってたりするとことか細かい

・5,6歳くらいの子どもに懐かれるアシタカのシーンがなかったから、たぶん宮崎さんは本気出してない