子どもにとって有害なエロいものってなんだ

今の大人のほとんどは子ども時代に「子どもにとって有害なもの」を見て育ったと思う。

田んぼの畦道に落ちてたエロ本をドキドキしながらこっそりと拾ってアパートの脇の誰も来なさそう場所で読んだり、資源回収日の朝4時にゴミ捨て場を渡り歩いてエロ本を回収業者の代わりに回収して回ったり、家族全員が出かける日を見計らい細心の注意を払って父親の部屋(または兄弟の部屋)を漁ってエロ本を見つけ出しては興奮して読んだりしたことだろう。

エロ本は18禁だ。それすなわち「青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの」ということだが、今の大人のほとんどは健全な成長を阻害されて育った大人だろう。私もそうだが、これを読んでるあなたもそうだと思う。別に否定してくれて構わないが、18禁を見たことがあるならそういうレッテルを貼ることが出来る。そんで今の社会をつくっているのは、おそらく健全な成長を果たせなかった大人たちだ。もしかしたら健全な成長を遂げることが出来た大人もいるかもしれないが、そういうのは1%未満しかいないと考えられるので、社会は不健全な大人たちがつくりあげたもんだろう。そんな大人たちが子どもに「そんなもの見ちゃいけません」という言葉をやたら言うのは「自分たちのような大人になってほしくない」という願いであり、勝手な押し付けであり、自分は非倫理的な人間だという思い込みからくる呪いである。だから、子どもの健全な成長を願って、害悪になりそうなものを遠ざける。そんなことをしたところで無駄なことは自分の子ども時代を振り返ればわかりそうなものだが、そこには敢えて盲目的になる。そうして出来上がるのは”エロの空白期間”だ。

18歳になる前に大抵の子どもに性の目覚めは来る。鉄棒やのぼり棒で目覚めるやつもいれば、制服のシャツの空いた胸元から偶然覗いたブラが鮮烈なイメージとして残り悶々とし家に帰ってから目覚めるやつもいる。テスト中に前の机のやつが落とした消しゴムを教室を回っていた女教師が後ろから歩いてきて拾ったことで突出されたヒップを正面から見てしまい目覚めたやつもいるだろう。

大抵のヤツは15歳までには目覚めてる。18禁というやつはその目覚めた性を解放できない空白の期間をつくる。直接的なエロいものを見るのが公としては認められず、かといってエロいものを自らの調達する方法もツテもなく想像によってのみ隠れて解放されることが許された小学生時代を送った人も少なくあるまい。

今ではネットがあるから、そういう子どもも少ないのだろう。エロの空白は生まれにくくなった。しかし、そのせいで「子どもにとって有害なもの」を見て育った子どもが量産されるだろう。

だが、それは昔となにも変わらない。私たちがエロいものをまるで神に導かれるかの如く自然と求めたように、今の子どももエロいものを自然と求めるだけだ。いろんなエロいものを求めて、そのうちにエロいものへの分別を身に付けていく。エロいものを完全にシャットアウトしてしまえば、性欲は行き場を失い溜まりきった性欲がいずれ暴発してしまうだろ。だからといって子どもの性欲を完全に管理してしまおうなどと愚かなことを考えてはいけない。趣味趣向は人それぞれ。全く趣味に合わない性癖を押し付けられれば誰だって辟易する。子どもの行くままに任せればいい。

大人は子どもが大きく道を逸れそうになったとき道を示してあげればいい。それが倫理に反するものであったならば、どうやって解決するかは本人が決めるしかないが、やり直しのきかない過ちだけは犯さないように見守るのが大人の役目だろう。逆に、それ以上のことが必要だと私は思わない。

小学生からネットを知って性が目覚めたとしても、それはそれほど心配しなければならないことではないだろう。性に興味を持ち、ネットで自分で検索するようになっているならば、それは本人が性に目覚めたということに他ならない。それを様々な手を使って封じようとしたところで、子どもは抜け道を探す。私たちが大人に隠れてエロいものを見ていたように。

12歳からエロいものを知って育つのと、15歳もしくは18歳になってからエロいものを見て育つのを比較したら、それほどまでに違う人間が出来上がるのだろうか。12歳でエロいものを知った子どもは、女性を性欲処理の道具としか思わないレイプ願望を持つ脳内ピンクのクズ野郎になるのだろうか。18歳未満はやっていいこととやっちゃダメなことが全く判断付かず見たものに必ず影響されるから、大人が健全とするものしか見せちゃいけないのか。私は子どもがそこまでバカだとは思えない。たしかに子どもはバカではあるが、それを言えば昔から子どもはバカなもので今も昔も子どものバカさはあまり変化はないはずだ。バカなことをする子どもの人数が劇的に増えた統計はない(刑法犯少年の数は減少している,参照:少年犯罪統計データ)。ならば現状維持でも構わないはずだ。問題を起こす子どもが0になるわけはない。個別の凶悪犯罪などどうでもいい。個別案件をピックアップするのではなく統計的に考えて、この数字以内ならば問題はないと考えるべきだ。人間なんてなにしでかすかわからないし個別の事情があるのだから、一件の凶悪犯罪を見たって意味が無い。

話が逸れた。そこらにある18禁程度のものなんて大したものはない。SMなどと大層なことを言ってもロウソクは火傷して皮膚が爛れないように熱くなりすぎないように配慮されたものを使ってるし、ムチだって皮膚が裂け焼けるような熱を味わい絶叫がこだまするようなものではなく、パチンパチンとやたらいい音が鳴り響き皮膚が赤くなる程度のソフトなものを使ったソフトなプレイのものばかりが流通してる。発狂した人間が服を脱ぎながら住宅街を走り回るのを2時間ただ撮影しただけの、ほんとうに見ていると頭がおかしくなるんじゃないかと思えるような18禁なんてほとんど存在しない。生きていく範囲であまり支障がない程度の18禁であることがほとんどだ。これを見たら発狂するなんて18禁のものは大人でもあまり出会うものではないだろう。そういう環境にいたら別だが、そういう環境に子どもがいたとすれば、18禁なんてそもそも意味を果たしてない。その前にその環境から子どもを助け出す必要があるだろう。

 そもそも”不健全な大人”が”健全な子ども”を勝手に定義していることからお笑い草だ。なにを見てどう育つかなんてそんなのは子どもによって違うし、子どもが自分で選んでいくものだ。私は個人の自由意志に重きをおいているので、そういうことも子どもの好きにさせて、失敗したら大人がフォローに回ればいいと思う。失敗してもやり直しがききやすいのが子どもで、失敗する経験から得るものが大きいのが子ども時代じゃないかと思う。失敗させないようにではなく、失敗から立ち直る方法を教えるのが大人の役割じゃないのかね。