ゴッドファーザー

超有名作であること以外なにも知らずに見た。

おもしろいけど、期待したほどはおもしろくはない。期待値が高すぎたことが問題なんだけど、みんな持ち上げ過ぎという感は否めない。”漢なら見ろ”とか書かれてあるレビューを見て、そういう人向けなのかなとは思った。宮﨑駿は映画は「かくあるべし」を描くべしと言ったらしいが、ゴッドファーザーはそういう作品だと思う。マフィアのボスの生き様を”Godfather”という役割に託して、それを物語に乗せて描き切った。ドン・コルレオーネが引き受けたものをマイケルがそのまま引き継いでて、それは漢のロマンだよねと。漢なら見ろというより”漢が楽しい”物語なんだろう。でも、そういう役目とか役割とか言うものをめんどくさいから引き受けたくないと思う俺のような人間にはとことん合わない作品でもあるんだろう。

ラスト近くのクロスカッティングやマイケルが親父の復讐のために二人を銃で殺すとこの電車の音?のBGMとかファーストカットからの一連の始まりとか、単体のシーンでみるとすごいおもしろいんだけど、全体としてみるとイマイチ乗れない。

なぜか考えてみると、『THE Social Network』が結構好きだった理由に思い至った。あれは主人公がFacebookを創設した大天才の話なんだけど、その大天才はその才気ゆえか人の気持ちを思い遣ることが全く出来ない人間だった。「天は二物を与えず」タイプの主人公でビジネスでは前人未到の大成功を収めておきながらも、私生活は思い通りにうまく運べない男の物語だった。優れた才能の代わりに人間性を軽く喪失していて、その主人公のアンバランスさが観ていておもしろいと思える話だった。でもゴッドファーザーはそういうのがない。極めてエリート的な人間であるマイケルがゴッドファーザーという役割を引き継ぐ。マイケルは物語が進むごとに冷酷になっていくけど、マイケルは最初普通のエリートでしかなかった。そんな男が殺しを命令できるような人間になるんだけど、その過程においてマイケルは苦悩する。その苦悩するマイケルをあまり映さないフィルムと、苦悩を表に出さないけど内心において苦悩しているのを匂わす演技をやり切った俳優はほんと良かった。自我の物語にならなかったところにギャング映画の矜持を感じて好感を持てた。でも逆に言えば割合一般的な倫理観を持つはずのマイケルがゴッドファーザーという役割を普通に引き受けられたことがどうにも繋がらない。確かにマイケルはマフィアに育てられたから一般的な倫理観から遠いところにいたんだろうが、それが人殺しを平然と行えるほどのものには思えなかった。更に言えばマフィアのボスになるなら悪を一身に引き受けなければならないはずで、それは尋常じゃない精神力が求められる。それをマフィアの仕事の経験もろくにないマイケルが引き受けられたのが納得がいかなかった。ゴッドファーザーという役職の重さにマイケルが耐えられるとは思えなかった。マイケルが継げてしまう事自体ゴッドファーザーの役職が軽くなってしかねない。それを避けるためにもマイケルが悪堕ちする様子を丹念に描いたんだろうけど、そうなるとマイケルに圧倒的な悪の才能があるなんかの説得材料が欲しかった。マイケルの描かれかたに対して物足りない部分が多かったのがこの映画にイマイチ乗りきれなかった最大の理由になるんだろう。人の心をまるで解さない怪物の煩悶を描いたのが『ソーシャルネットワーク』で、比較的一般人がマフィアのボスになるまでを描いたのが『ゴッドファーザー』という感じで、一般人にしか見えない男が怪物しか出来ない役職を引き継げてしまったとこが気に入らなかった。

マフィア映画を見た経験がほとんどないというのが一番痛かったかもしれない。文法がイマイチ理解できなかった。マフィア映画の最高傑作としてのゴッドファーザーを楽しむには比較対象が必要だった。もっといろんな映画を見てから見直すとおもしろい作品なんだとも思ったので、5年後くらいにまた見たいかも。