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三島由紀夫『女神』

うーん、素晴らしい。

美に囚われた男と女とその娘の生涯とその末路。美しさの奴隷のような男がその妻を巻き込んで美に執心する様子を描いた快作。なによりも美しさを重んじる男は妻の振る舞い一つ一つに口を出し、着る服を指定し、美しさを強要する。そのうち妻のほうも社交界の中心に据わるようになり、夫の教育の成果から得られる快楽の虜になっていく。しかし、美しさは時限的なもので、加齢によって段々と衰えていき美しさは失われていく。妻はその頃には美しさを失うことを最も恐れていて、体型が崩れるという理由から子どもをつくるのを嫌がるくらいには、美しさを失うことを恐れていた。そういう彼らの苦難と末路が描かれるのが『女神』。

俺はものすごく”かわいさ”に執着している自覚があって、それが生む弊害をよく考えるんだけど、そういう業にとことんまで向き合うのが本作の凄いところ。個人的に美に対しては絶対的な信仰がある。美しくないものは嫌いだし、美しくない行動はしたくない。美しくないという状態が嫌で嫌でしかたない。でも、これは執着でしかなく妄執の類だろう。しかし、これに対して妥協するつもりはないし、出来るもんでもない。美しくないくらいなら死ねばいいと思う。これ自分自身でラッキーだと思うのは、俺の美の観念の大きな部分は精神的な部分に存在していること。これが外見の美に執着する性質だったらブサイクは死ねという思想になっていた可能性があった。正直、これは俺がイケメンでないという部分が大きく、イケメンに産まれてたらこういう思想に走っていたかもしれないと思うと、いや、それでもイケメンに生まれたかったとも思う。人間なかなかに業が深い。ともあれ、今の俺は精神的な美しさを中心に据えているので、この作品の男とは違うけれど共感出来る部分はものすごくあった。求める方向性は違えども、美を求めるのは同じ。で、大抵の人間は生きていく上での指針があるもので、その指針に”美”というのは間違いなく影響を与える。どんな人間でも美しくないものは嫌いだろう。美しさのモノサシは人それぞれ違えども、人の中に存在する美を求める意識というのは普遍性のあるものではないか。人それぞれ美しいと思ったものに惹かれてそちらのほうに進んでいく。だから、本作はものすごく共感性の高いものだろう。美を耽溺し美とともに死んでいく覚悟をもつ男が紡ぐ物語に、俺はある種の羨望をもつと同時に、いつか失われるものに執着し続ける虚無感を客観的に提示され絶望感を与えられた。話がズレるが俺が結婚したくないのは長期的には失われてしまう妻の美を間近で見せられることが嫌だというのが一番大きい。それを受け入れるしかないというのは事実だが、それをしてしまえば俺の美に対する執着は失われるだろう。それを受け入れてしまうときが妥協した瞬間となる。一度妥協してしまえば執着は薄くなっていく。しかし、その先にあるのは醜悪への奈落だと思うから絶対に妥協したくない。それをしてしまえば美の観念は失われ、今の俺は死んでしまうだろう。そうなりたくはないために俺は結婚をしたくない。生涯を添い遂げる覚悟など俺には毛頭もない。本作の男はその覚悟を持って結婚をしているので、そこがすげーと本気で感心し男に尊敬の念を抱くようになった最大の要因であった。