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西尾維新 物語シリーズ完結作『終物語(下)』

西尾維新=貝木泥舟なんだろう。

この作品というか、西尾さんの作風が言葉遊びを主としてる。『恋物語』で貝木がラストで千石にテキトーな言葉遊びで翻意を促したように、言葉遊びで展開を右に左に転がしてる。確固とした世界観設定がないから『阿良々木が死なない程度になんとかなるんだろう』って気持ちがまずあって、実際よくわからないけどなんとかなってる。「A=B、B≒CだからC≒Aだ」みたいなレトリックをこねくり回して物語を解決に向かわすから読んでるほうとしちゃ「ああ、そうなんすか」としか思えない。これが西尾さんの芸風だし、これが嫌なら西尾維新作品を読むなという話なんだけど、相変わらず展開の納得度を放棄している人だという印象。戯言シリーズの終盤のミステリーを放棄した超展開の連続と比べると格段の成長が見られるけど、構成が上手くなっただけで細部についてテキトーなのは変わってない。

地獄と天国まで登場したのは驚いた。地獄まで出ちゃったらもうリアリティもクソもない。完全に振り切った感じだし、ファンタジーとして割り切ってくれって意味だったのかね。地獄に落ちたときのアララギ君のセリフはなかなか。

 「だけど、死んでもその先があるとなると、結構ぶれちゃうところもあるよな……」

「ブレる?何がですか」

「いやいや、生きることの意味が……。人生がただの前説になっちゃうだろ。天国にしても地獄にしても、死んでもまだその先があるとなると、必至に生きることの意味が多少薄れてしまうというか……、生きることや死ぬことの厳しさが」

 個人的には西尾さんのやりたいことは『恋物語』の時点で終わってたんだろうと思う。主人公の罪を暴きたかったんだろう。かわいいと言われることの重さを伝えたかったんだろう。主人公と関わることでマイナスになる人もいることを伝えたかったんだろう。

それを貝木泥舟の語りでやったってことが全てだと思える。貝木泥舟は詐欺師で言葉遊びで人を翻弄する職業で、それは作家に似ている側面がある。作家もまた言葉をこねくり回して内心をかき回す職業だ。

物語の主人公である阿良々木に救えない千石撫子を貝木泥舟が救った(騙った)というのは、現実のヒーローに救われることなく物語に救われている俺のようなサブカル好きとの関係そのままだ。「俺たち作家はヒーローに救えないものを救うんだ」という矜持を宣言されたようで非常におもしろかった。

テーマとして『恋物語』は郡を抜いてる。物語のピークも『恋物語』だったので、アニメも恋物語まででいいし、別に恋物語まで読んでりゃいいというのが、全体を通して思ったことかな。