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Let's search evil

 世の中おもしろいものが溢れている。だが、時間は有限だ。ゆえに重要なのはおもしろいものを選択的に見ることだ。つまらないものをいち早く切り捨てる決断力とおもしろいものを見極める判断力が一個人においては非常に重要になる。

私にとって趣味はもはや生きていくのに欠かせない活力の確保手段となっている。おもしろい作品を見れば生きてて良かったと思うし次のおもしろいものと出会うために生きたいと思う。だが、おもしろいものがなければ生きているのがめんどくさくなる。

このような自己認識をしているために私は快楽主義者を自認している。快楽主義者とは詰きつめれば、おもしろいものがなければ生きていられない者たちのことだ。自身の快楽のために生きている。それゆえに快楽のために死ねる。しかし、生きていなければ快楽を味わうことは出来ない。

このような状況を理解した上でおもしろいものを探求する最適戦略が求められるが、趣味に命を懸けているような人種はこれと似たような認識で生涯に渡って趣味を極めようとしていると思う。

はじめに言ったように最重要点は時間がないことだ。人生とは時間との闘いとも言えてしまうだろう。時間を有用に使うことが出来れば満足の出来る人生を送れるだろうし、それが出来なければそうならないだろう。結果的に現状に満足しているならば、それは有用な時間の使い方が出来たということでそれならばそれでいいのだが、何かを探求する上では時間的期限を意識した上で時間を有用に使う戦略を立てなければ満足のいく探求を成すことは難しいと考える。それを私の趣味のことで言うならばつまらないものに使う時間を極力減らすことに当たる。つまらないものを見なければわからないことは存在するが、それすらも有用な時間の使い方に組み込む必要があるということだ。アニメで言うならば1クールに一本はつまらないと思うものも視聴リストに入れておく、漫画で言うならば雑誌は最後まで流し読みでもいいから読むということになる。しかし、再び強調しておくがつまらないものは最低限の時間しか取らないということ忘れてはならない。つまらないものに取る時間ほど無駄なものはない。つまらないと思えばさっさと足を洗って別のものに時間を突っ込むことが重要だと強調しておきたい。そのためにフットワークは常に軽くあらなければならないし、様々なものに目を向ける意識をもつ必要もある。

”切る”という言葉がアニメや漫画を見る者たちの間ではよく使われる。”1話切り””途中で切った”などと言うように、止めるという意味を指すが、ほんとうの意味で切ることが出来なくなった者が多くなったように思う。端的に言うならば”~はつまらない”などということを表明することになんの意味もない。継続的な視聴に耐えない、もしくは時間的な無駄を省くために”切る”ことを選択したはずなのに、なぜ”~はつまらない”などいうことを時間の浪費をしてまで行うのか。

”切る”のならば時間的にも意識的にもそれを出来る限り外す必要がある。それは(時間と意識を)”割く”ことを忌避し”切る”ことを選択した行動に反する行いでしかない。

”切る”ことの意味を認識してもらったその上で、”切る”という行為の意義を問い直す必要があると私は思う。