動物化するポストモダン 東浩紀 物語消費の変化

一部界隈では有名な東浩紀さん(以下敬称略)の著書を初めて読んだ。東は思想家であり小説家であり学者であり、Twitterなどでその言動から話題になることがありその言動の過激さを考えると、この本は非常に普通の本だったと思う。しかし、10年もの前の本だが、今読んでも刺激になる部分は多い。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)


本書はポストモダンを表題に冠しているが、このタイトルに期待して読んでしまうと読み応えのないものになってしまうかもしれない。中心的議題にデータベース型物語とツリーモデル消費というものがある。これは大きな物語が失われたあとの物語の変化とその形態について論じているものだ。大きな物語をわかりやすく言うと、社会全体で共有され(ているように感じる)多くの人が是としている思想のこと。もはや社会全体で価値観を共有することは出来ないというのは、基本的なポストモダン論である。
東はポストモダン以前の近代の物語消費をツリーモデル(投射型)と呼んでいる。ツリーモデルの時代では作品の深層には大きな物語が存在し、すべての作品(小さな物語)は大きな物語から要素を取り出しているだけですべては大きな物語の表層である、と述べられている。小さな物語は一つ一つの作品のことだと考えてもらえればいい。そしてポストモダンの時代の物語消費のことをデータベース型と呼んでいる。ポストモダンの時代ではもはや大きな物語は失われている。ツリーモデルのように大きな物語から小さな物語が生み出されるのではなく、小さな物語が存在するだけで、小さな物語から深層(大きな物語)にアクセスすることは出来ない。
しかし、ポストモダンでは大きな物語がない代わりに大きな非物語が存在すると言っている。これを説明する前に一つ知っておくべき言葉がある。社会学者のボードリヤールポストモダンの社会において作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない中間形態が支配的になると予見していた。このオリジナルとコピーの間が曖昧になりコピー商品が氾濫し、そのコピーがさらにコピーを増やしていくような形態をシミュラークルと言う。アニメ・マンガなどのサブカルでは二次創作が盛んに行われている。二次創作は同人誌、同人ゲーム、同人フィギュアなどオリジナルではないコピー商品のようなものであるが、公式から認められているものも数多く存在する。メディアミックスは公式であるが原作を元にしたコピーに近く、それはオリジナルとコピーの間を曖昧にする。サブカルの現状はボードリヤールが予見したシミュラークルな世界のように見える。そして東はこのシミュラークルを基礎に置いている。
繰り返しだが東の主張するデータベース型消費では、大きな物語はもはや存在せず小さな物語が存在するだけだ。だが、その深層には大きな物語の代わりにデータベースが存在する。データベースとは、シミュラークルな世界で生み出された数多くの作品や商品―この売れ行きや客の反応、その他諸々の知と経験の蓄積のことだ。大きな物語が存在しないなかで最大公約数的な物語をとろうとするなら、過去の膨大なデータベースにアクセスする以外にない。一つの作品から生み出された要素や構造はデータベースに保存され、クリエーターは新しいものをつくるとき、データベースを参照し汲み上げ新しい作品を生み出す。そこで生み出された新しいものはデータベースに保存されと、これが無限に繰り返される。データベースの中で生み出されたものの中で最も顕著な例が「萌え」だ。猫耳、メイド服、しっぽ、ツンデレなどの萌え要素はデータベースの蓄積の中で育まれた。様々な分野や作品で使われる中で記号として洗練され、効率的な萌えの刺激を生み出すようになった。
 長くなってしまったが、以上がデータベース型消費の概説だ。これは大雑把にまとめたものに過ぎないので、これを鵜呑みにされるのも困るところではある。本書ではかなり紙幅を割いて説明しているところであり、東の最も主張したい部分であると考えられるので、興味を持った方は一度読んで見ることをおすすめする。