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夜桜四重奏ハナノウタ

ハナノウタ11.12話はジュリとその妹リラの過去の後悔が生んだ話だった。

ジュリはこどもの頃から医者を目指していた。そのために勉強を欠かさず、自らのすべてをかけて勉強に取り組んだ。

妹のリラはそんな姉を心配していた。だが、それ以上に寂しかった。必死に勉強をする姉の姿を見ているだけでなにも出来なかったし、姉もなにもしてくれなかった。だから、姉の目を引くために手品を覚えた。手品を見せて、姉に褒めてもらいたかった。だが、それは届かなかった。

ジュリはこのときのことを後悔していて、それを謝った。だが、私はそれが納得できない。

ジュリは謝ってはならない。それは過去のジュリの努力に対する冒涜だから。

ジュリは医者にならなければならないと思っていた。なぜかは知らない。だが、そうしようと思って、そのために必死で努力をした。医者になろうというのは容易な道ではない。なにかを選ぶならなにかを捨てなければならない。この場合は労力と時間だ。ジュリには時間がなかっただろう。勉強のためにすべての時間を費やす覚悟が必要だったはずだ。だからジュリはそうした。医者は命に関わる仕事だから、そのために捨てなければならないものは多い。

それでも、家族を顧みない行為は許されないという人がいるかもしれない。だが、ジュリはまだ子どもだった。出来ることが限られていたはずだ。周りから見ればもっとできることはあったはずだと言うかもしれない。ジュリ自身ももっと出来ることがあったと後悔していた。だが、それも時間が経ったあとだから言えるのであって、当時のジュリにとってはあれが精一杯の結果だったのだと思う。

これは、どうしようもないことだ。ジュリには医者になる夢があって、そのためには必ず通らなければならない道だった。他に道があったかもしれないと後悔することに意味は無い。精一杯やったのならば、結果に伴う損害は受け入れるしかない。それを後悔することは精一杯やった自分に対する侮辱だ。頑張ってなかったならば侮辱するのも構わないが、頑張ったのならばそれは最善の道だったはずだ。思う通りの結果にならなかったとすれば、それはただ実力が足りてないだけだ。

だから、ジュリは謝る必要はなかった。今のジュリになれたのは当時のジュリが頑張ったからに他ならず、いまの自分を誇りに思えるならば、当時の自分を侮辱するようなことをしてはならなかっただろう。それでも謝ったのはジュリ自身の抱えていた後悔のためだろうけど、その謝罪は自己満足の塊でしかなく、リラのためにはなってない。リラはただ姉に褒めてほしかっただけで、謝ってほしかったわけじゃない。だから、リラの手品は楽しかったと思ったなら、褒めてあげればよかったのだ。謝罪と感謝と褒め言葉。過去の後悔のために謝るのはいい、だけどそれだけでは足りない。リラの気持ちになんにも報いていない。自分のために手品を覚えてくれたことへの感謝、そして褒め言葉。そうするべきだとは言わないが、謝罪だけではあまりにも言葉が足りないだろう。夜桜四重奏は人の気持ちによりそう物語のようでいて、人の気持ちを無視しているようにしか感じられない部分が多々あって気持ちが悪い。

なんのために謝るのか、どうして感謝の言葉を口にするのか。ここにたしかな人の気持ちが感じられない作品を私はおもしろいとは思えない。