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リトルダンサー

映画

「あなた、私が好き?」

「さあ、考えたこともないよ」

「…わたしのあそこ見たい?」

「…見せなくたって好きだよ」

あらすじとかはwikiで。原題が『Billy Elliot』なのに日本では『リトル・ダンサー』になってるのが、気に入らない。ビリー・エリオットの生涯を意識させるものではなく、小さなダンサーが起こす物語に注目させるカタチになってしまって、そのあたり人よりも物語を求める日本人のウケの良さを狙ったのだろうか。

この映画全体的に暗くて思いので途中で見るのが嫌になってくる場面が何度かあるんだけど、痺れるシーンがいくつかある。鬱々とした場面で観客にストレスを溜めて、それを解放させるシーンでスッキリ爽快させる見る方を気持よくさせるのを繰り返してる。

中盤のハイライトが始めに書いた会話のシーンで、これは年間ベストシーンに選べるかもしれない。この映画でもっともおもしろかったシーンにもこれを選びたい。

このシーンの前に、この11歳の子どもたちが親のセックスレスの話を恥ずかしげもなく話すんだけど、そこに違いを感じざるを得ない。始めに書いた会話もこの伏線があったから成り立つもので、11歳のBillyとDebbiが普通にこの会話したところでませたガキ程度にしか思わない。身体も精神もまだまだ未熟だけど、性の目覚めは近く、言葉の端々に性を感じさせるからこそこの会話が凄まじいものになる。性意識の違いを感じられるのが洋画を見る楽しみの一つなんだけど、リトル・ダンサーの性の描かれ方は直接的なものを全く見せなかったにも関わらず突出していた。イギリスの子どもの性がどういうものなのかは知らないが、日本よりは遥かにオープンなのは間違いない。極端に閉じた性意識を持つ日本に辟易している俺としては、見ていて愉快ではあった。上の会話は著しく非倫理的であるけど、子どもでなければ出ない鋭さと魅力の詰まった会話だと思う。Debbiはこの言葉をもらったことで人生が変わるんじゃないかとすら思えるほどに嬉しい言葉だったんじゃないかな。そういうものを非倫理的とか言って許されない風潮になるなら、健康的でつまらない文句ばかりが氾濫してつまらないことにしかならないのは明白で、つまるところつまんねえ。

以下、気になったとこ箇条書き

・おやじの走るシーンとビリーの走るシーンの同一性。同じ構図で走ってるシーンがあったはず

・連続性がないというか、脚本が必要な説明以外を削っていて行間たっぷりで見てて疲れる

・踊ることで閉じられた空間から飛び出していくことをそのまま映像で表現した中盤のタップダンスシーンはもろに抑圧からの解放で快楽指数MAX

・マチズモ親父だけど、芯は弱くて追い込まれれば泣いて謝る→視聴者も泣くってのはやっぱずるい。炭鉱へ行くシーンのモンタージュ、レイアウトなどパーフェクト

・マイノリティたち、抑圧されたものたちの物語。それで舞台が閉鎖されそうな炭坑

参考リンク

反コレクティビズムの勝利-イギリス1984-85年炭鉱スト、1986年ワッピング争議における労働組合敗北の歴史的意義について(1): 川西正彦の公共政策研究

Billy Elliot - リトルダンサー

+++『リトル・ダンサー』スティーヴン・ダルドリー 文:大場正明+++