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プラトーン

生き残った僕らには義務がある。戦場で見たことを伝え、残された一生、努力して、人生を意義あるものにすることだ。

 オリバー・ストーン監督がベトナム戦争を描いた映画『プラトーン』。最低限の知識として、ベトナム戦争とは冷戦下のソ連とアメリカの代理戦争である、くらいの認識があればいいかな。俺はこの程度の認識で見れたのでインテリのアメリカ人のみをターゲットとしてるような作品ではない感じ。

戦争とは、人間とは、みたいなテーマを大上段に構えて上から目線で説教するような作品ではないが、下からだけど「いいか、戦争とはこういうもんだ、ちゃんと考えて生きろよ」みたいな圧力は感じる。『JFK』を見たときにも思ったが、オリバー・ストーン作品は重い。映像から感じられる精神的な熱量がすごい。役者の出演の条件として二週間の歩兵訓練を役者に課すことという条件を付けたという話からも感じられるが、映像に対する妥協がない。だからこそだと思うが、映画に思想が色濃く出てる。始めに書いた言葉はベトナム戦争の前線にいた兵士が帰るときにいう言葉だが、このセリフは監督のセリフといってもいいだろう。オリバー・ストーン自身もベトナム戦争経験者で、この映画をつくった理由がこのセリフなんだろう。この言葉に俺は全く賛同できないが、言い切ってしいまえるところに監督の性格があらわれてる感じがする。映画は思想を伝えるものだと思うから、言い切ることは構わないが。

 紳士的米兵と野性的米兵

これ、見てたとき『ライフイズビューティフル』(ロベルト・ベニーニ監督)を少し思い出した。ライフイズビューティフルにはラストに少しだけ米兵が出てくる。そのときの米兵は戦車から出てきて子どもを抱き上げて助けてあげるんだけど、この映画に出てくる米兵は野性的だ。薬はするは、レイプをしようとするは、正義感を持った仲間が邪魔だから殺すは、自己利益を再優先として倫理など守ろうとしない。日本の米兵のイメージとしてチョコレートをあげる米兵(「ギブミーチョコレート」)があると思うんだけど、そこにある米兵のイメージってクリーンで紳士的なものなのね。『ハート・ロッカー』の米兵もクレイジーで野蛮な米兵で、紳士的米兵と野性的米兵のイメージの対立があるように思えた。リアリティを追求する映画ほど野蛮になっていく傾向があるから、現実は紳士的な兵士などあり得ないというのが最大公約数な答えなんだろうけど、イメージ戦略の絡みも見えてモヤモヤとさせられる。戦争映画が敬遠されがちな要因の一つにこれもあるんじゃねえかなと。

 戦場コミュニケーション

「あー体育会系のノリめんどくせー」「アメリカ人ってこんなんなんすか?」って思うのは戦場での兵士たちのコミュニケーション。日本の”空気を読む”という文化にもうんざりするが、こっちはこっちでめんどくさい。会話がアイロニー効き過ぎてたり「Fuck you」とか正面切って気軽に結構言っちゃうから、なんとなく殺伐とした感じを受ける。円滑な夫婦のコミュニケーションとかにも「なんか殺伐としてるなあ」とか感じるから、文化の違いの問題なんだろうけど、このコミュニケーションの文法の違いは未だに慣れない。薬やって「ひゃっはーパーリーナイッ」みたいなノリが『ソーシャル・ネットワーク』にもあったけど、ナチュラルにこれが出来なかったり文化的な洗礼を受けてなかったりしたら生きづらそう。

洋画を見て一番勉強になるのは、日本だろうとアメリカだろうとヨーロッパだろうと、自分の理想とするような世界は基本的にはないから、自分が環境に適応して居心地の良い場所をつくるなり見つけるなりするしかない、ってことですね。

あと、戦争を通して人間の本質を浮かび上がらせてるみたいな批評もあるけど、これは人間の本能的な行動を描いてるだけだと思うので、本質ではないと思う。殺されたくないから殺すのは本能、戦場において性欲が高まるのは本能。

本能=本質ではないということだけは言っておきたい。まあ、これは俺の解釈で、こういう側面はわりとどうでもいいと思ってるので、人それぞれ考えれば別にいいですが。