4コマ漫画好きのリトマス試験紙『ゆゆ式』

ゆゆ式3巻まで読み終えた。

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ゆゆ式』は様々な意味で挑戦的な作品だ。日常系とシュルレアリスムを混ぜたような世界観で、この世界観の空気を楽しむことができなければ楽しんで読むことはできないと思う。
私の主観的な話だが、ゆゆ式は読者を笑わそうとしていない(ギャグ漫画としてゆゆ式が好きな人には申し訳ない)。(たまに抱腹絶倒のギャグがあるけど)私はこの作品を読んで笑うことはあまりない。シュールなギャグで笑わそうとしているようで、そのギャグ自体が別におもしろくもないので笑えない。そもそも笑いを誘ってない。

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じゃあ、なぜ私はこの作品を読んでいるのか。
これはすごく難しい問いだ。私はこの作品の魅力を明確に言い表すことができない。しかし私はゆゆ式が好きだ。
なぜか?
ギャグで笑えないからといって、それがつまらないに直結するわけではない。
ゆゆ式まんがタイムきららで連載している。
この雑誌は日常系4コマが中心の雑誌。日常系はギャグの楽しさではなく、その漫画が持つ空気感が重要だ。日常系は明確におもしろいと言えなくても、なんとなくおもしろいと思えればそれでいい。
このときのおもしろい、という基準が日常系作品は特殊だ。
ストーリーが盛り上がるおもしろさでもなく、笑えるギャグのおもしろさでもなく、絵がきれいで引き込まれてしまうおもしろさでもない。ただなんとなくこの世界を見続けていたい、この居心地のいい世界をいつまでも見守っていたいと思わされる感情。心地良い居場所を与えてくれるのが日常系4コマのおもしろさだと思う。
ここで連想されるのは『けいおん!』『らき☆すた』的な世界だ。
だが、ゆゆ式はこの点でも異質
けいおん!などの女の子たちだけの安心できる空間、ほんわかして嫌なことがない現実離れした世界観、そういう安心感をゆゆ式はあまり持ち合わせていない。
ゆゆ式の女の子たちは現実に根付いていると感じさせられる。登場人物たちは空想の人物でしかないはずだが、ゆゆ式の女の子たちはほんとうにいるのではないかと思わせるリアリティがある。これはけいおん!などとはまた別のリアリティでのことだ。
ゆゆ式の世界は現実の嫌な部分を出してくる。しかし、それを嫌なものとして描かない。

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最近『CUT』という雑誌で山田尚子さんのインタビュー(たまこまーけっと監督)を読んだのだが、その中で”世界の肯定”というワードがしきりに使われていた。山田監督は世界を肯定的に捉えていて、それが作品の世界観にあらわれているという話だったのだが、私はこれに頷きつつもひとつのことを思っていた。ゆゆ式は山田監督が作中で出している肯定とは、また別の肯定をしているのではないかということ。
山田監督はたまこまの世界を「ヒロインの女の子たちは明るいけど、部屋で一人で泣いている時間もあると思われるようにしたい」というようなことを言っていた。これはつらいことがない世界ではなく、つらいことはあるけど人前でそれを出さない女の子たちを描きたいということだ。
この点で『ゆゆ式』と『たまこまーけっと』は共通している。
ゆゆ式は世界の暗さを描かない。最初に書いた通り、ゆゆ式シュルレアリスム的な要素がある。ゆえに作品に現実性が与えられるが、同時にシュルレアリスムからくる暗さも引っ張ってしまう。しかし、ゆゆ式はそれすらも肯定した世界として描かれている。
たとえば、盛り上がったあとに出来てしまった気まずい静寂。話が変な方向にいってしまっていることを自覚しているのにそれを止める人がいなくて、だれも楽しめない話のまま進んでしまうとき。ゆゆ式はそのような場面で溢れてる。
しかし、ゆゆ式に登場する彼女たちは、ときにそれをスルーし、ときにそれを笑い飛ばす。それで微妙に空気が悪くなるときもあるけど、彼女たちがネガティブに陥ることはない。恥ずかしさも気まずさも肯定的に受け入れてしまう強さを彼女たちは持っている。
山田監督はこれが微妙に違っているように思う。そもそも嫌なものを入れる器の大きさが違うのだろう。山田監督の世界には存在しない現実味と暗さをゆゆ式は持っている。しかし同時にたまこまの中にあるリアリティをゆゆ式は持ってはいない。

この器は大きければいいというものではない。この器は個人の作品の好みにつながってくるが、そこで良い悪いを判断できるものではない。リアリティの器は大きさもカタチも様々。その器がどのようなものであるかで、どの程度リアリティのあるものか感じられる。

どのくらいリアリティがある作品が好きなのか。

あなたにとってのリアリティとはなんなのか。

それはあなたにとっての肌感覚の話でしかない。万人にとってリアリティのあるものは目の前の現実だけだ。フィクションでのリアリティは人それぞれ違う。

だからこれは、ゆゆ式の器が私の好みだったというだけの話だ。自分がつまらないと思っている現実世界も、受け止め方を変えれば楽しい世界になる。それをゆゆ式は伝えている。

一生懸命なにかをするわけじゃない、堕落した生活を送りたいわけでもない、ほのぼのとした日常に浸るわけでもない。そこそこ苦しいこともあって、めんどくさいこともあって。でも楽しいこともそこそこあって、好きな友だちもいる。そんな世界を彼女たちは前向きに捉えて楽しく生きている。その姿を見ることが私は楽しいし好きなのだ。

これが私にとってのゆゆ式の楽しさ。そして大好きなところ。


一応、言っておくが『ゆゆ式』をおもしろいと思う層は少ないと思う。5人に一人はおもしろいと思えて、そのうちの2/3はハマれるという作品というイメージ。

日常系の新たな世界に足を踏み入れたいと思う人は是非読んでみてほしい。たとえ、面白く思えなかったとしても、こういう作品をおもしろいと思える人もいるのだという意味で刺激になる作品だろう。

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余談だが、ゆゆ式の記事に関しては別途でまだ書いていくつもりだ。カメラワーク、BGI、色彩など非常に注目するべきところの多い作品で、注意を引いたところをどんどんと書いていきたいと思っている。気になる方は今後もチェックしてもらいたい。

f:id:hidamalar:20130307113132j:plain身体がえろぃー

※追記

USTでゆゆ式の話をぐだぐだとしていて、それを録音しているのがいつでも聴けるのでよかったらこっちも聴いてみて下さい。http://www.ustream.tv/recorded/30024158