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劇場版シュタインズゲート負荷領域のデジャヴ

もう3年近くも前の作品になるんだなぁ。

シュタインズゲート、この作品の設定は複雑に入り組んでいて時間が経ったらなかなか忘れてしまいがちだ。タイムリープと一口に言ってもそこにあるシステム、原理は作品毎に違う。シュタインズゲートタイムリープ自体をトリックに使して物語を構築しているため設定に大分はったりがきいている。後付の理屈で物語をつくったような部分もあるために細かい部分はもう大分忘れてしまっていた。タイムリープして牧瀬紅莉栖と椎名まゆりを助ける作品と覚えていても細かい設定は忘れてるために、映画を観たときにも「こんな原理が働いてるのか?」と首を傾げてしまった。

オカリンのリーディングシュタイナーの能力はまゆりとクリスを助けるのに欠かせないものだったが、この記憶保持能力はシュタインズゲート世界線での自己の存在をあやふやにさせ世界に定着することが出来なかった。

この設定は空想科学ADVから空想ファンタジーADVに変えてしまえるほど科学的な部分が抜けるものだと思う。岡部が別の世界線の記憶を持っていて、シュタインズゲート世界線と他の世界線の違いが認識できないから別世界に消える。そのためこの世界線が違うという鮮烈な記憶を与えるため過去の岡部と接触して鮮烈な記憶を与えるという話だったが、科学的には全く筋が通らない。シュタインズゲート世界線を特別なものだと認識すれば世界に定着できるというのはファンタジーでしかない。「想いが世界」を変えるというのは現実の話だしロマンもあるが、この言葉に強い想いがあれば次元を越えられるという意味はない。文字通り「想いは世界を変える」という話をやっていて、それはロマンチックだけど科学的ではない。

さて、問題はこれをどう捉えるかだ。

私としてはこれはなんの問題もない。私にとってタイムリープ自体がファンタジーだからだ。シュタインズゲートを科学的な作品で緻密に設定が練り上げられていると思う人はそれでいい。それは私の認識の問題であり、ひいては一人一人の認識の問題でしかないからだ。

なにより、本作は紅莉栖の物語だ。悪いように捉えてほしくないのだが、私は本作を女性の物語だと思った。紅莉栖の内面を掘り下げた紅莉栖のための物語。そこに科学的な要素など必要ない。緻密な設定などなくとも成立し、科学者のラブロマンスとして見せることが出来る。理性的な元来の性質で岡部を諦める紅莉栖と岡部を求める感情的な紅莉栖の二律背反。どちらの気持ちも大切で本物だからこそ引き起こるパラドクス。過去と現在が、α世界線とβ世界線が重なって引き起こるデジャヴ。いろんなものが重なった物語が『シュタインズゲート-負荷領域のデジャヴ』という作品なのだろう。