バンダイHDのIR/劇場版『アイカツ』/アイドルアニメ

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ここ最近『アイカツ』にハマっている。一月で現在の最新話115話まで追いついて今日劇場版『アイカツ』を見てきた。

大スター宮いちごまつりの一曲目がセカンドシーズン開始51話の『アイドル活動(Ver.Rock)』で猫耳いちごが相変わらず超可愛く、Ver.Rockを選ぶ渋い入りに満足して頷いてて選曲でテンション上がってたら、二曲目はソレイユの『ダイヤモンドハッピー』、四曲目は2wings『フレンド』が来てしまう序盤から飛ばし過ぎのセットリスト。本編112話『GoGo!いちご応援隊』を見ていたらソレイユの登場を首を長くして待ってたはずだし、そもそもいちごを語る上でソレイユを外して語れるわけもなく二曲目にソレイユが来てしまう逆サプライズに目頭を熱くしてたら4曲目には2wingsが出るという驚きの速度。4曲目にしてクライマックスだと思ってたらほんとうにライブとしても映画としてもクライマックスに近くて驚いた。2wingsはその果たした役割の割りに語られにくいユニットだが、やはり2wingsの登場はセカンドシーズンラスト『花の涙』『夢へのツバサ』を思い起こさせる。夏樹みくるがまさかの劇場版出演を果たし、ダブルエムの記憶の蓋が開いていたところに2wingsの登場、追い打ちを掛けるようにプレミアム正座ドレス・ジェミニコーデを着たいちごとセイラは伝説の頂上決戦を思い起こさせ、二人を見ているだけで胸に迫るものがある。いくら語っても尽きない劇場版の語りはこの辺りでおいておく。

劇場版を見に行ったとき本編外でも驚きがあった。親子で見に来ていた人たちがほんとうに多かった。20代前半の男が一人で観に行くもんじゃない。アウェー感が半端ではなく横着してヒゲを剃って行かなかったことを後悔した。最も見るならば休日の昼帯で客層もチェックすると決めていたのだが、ここまで親子連れが多いとは思ってなかった。客入りは良いとも悪いとも言えない程度だったが、女児向けコンテンツは伊達ではないということを思い知らされた。俺向けコンテンツくらいに思っていたが、そんなことはないのだなあ。

それで、経済的にはアイカツはどんなもんなのか気になって有報や決算書などをざっと読んでいたのだが、バンダイとしてはアイカツを長期的なIP事業にする気満々のようだ。そもそもアイカツは2012年10月に初めてアーケードが稼働され、まだまだ歴史が浅い。アニメもほぼ同時に始まっていてアニメの人気と共にアーケードの人気もまた増していったタイプの作品だ。アーケードの宣伝のためにアニメがあったと思われる方がいるかもしれないが、木村隆一監督のインタビューを読む限りではゲームとアニメが連動することを前提としたゲーム企画という可能性もあり、このあたりのことは今後の調査課題。

「サンライズ立ちをするいちご」って書いてあった「アイカツ!」木村監督&加藤シリーズ構成に聞く 1 - エキレビ!(1/5)

 バンダイHDは『アイカツ』の他にも『ラブライブ』『アイマス』も持っていて、メジャーなアニメアイドルコンテンツすべてバンダイ傘下にある。こう考えたらストーリー的に通底する部分がある、となんとなく納得できる。終わらない日常ならぬ終わらないアイドル活動を強いられている。夢の果てにまだ先があった美月を幸せと思うか否かは当人の判断に任せるとしても美月が引退できなかったことは視聴者にとって示唆的。終わることが出来なかった『ラブライブ』、引退できなかった美月、輝きの向こう側に終着点があって欲しいと願うのは視聴者の心情はどう考えるべきだろう。隠居をしたいと願う人を怠惰と思うのか、役目を果たした人を素直に見送るのか。一期『ラブライブ』でことりを見送ることが出来なかった穂乃果たちの態度がアイドルアニメにおける呪いのように思えてならない。ことりがもし本当にやりたいことを見つけたとき彼女たちはそれを応援して見送ることが出来るのか。私がアイドルアニメを見続けるのは一心不乱にアイドル活動をするいちごや穂乃果を応援したいと思うからだ。彼女たちが頑張る姿を見ているだけで励まされるものがある。そんな彼女たちは終わることが出来ないだけなのかもしれない、と感じさせられたら興醒めだ。彼女たちは自分の意志で進み続けなければならない。それこそがアイドルアニメの根源的な魅力。向かう先がわからないというような行き詰まりを見てしまえば、それはアイドルアニメにとって最大の武器を失うことに等しい。ピリオドは物語にとっての救いでもある。ナンバーワンになってしまったいちごが考える「熱いアイドル活動」とはなんなのか。この答えをいちごはもはや提示することは出来ないだろう。これ以上進む先がなくなったいちごが目指す先はなんなのか。これを示すことができないからこその主人公交代だろう。

アイカツプリキュアのような10年コンテンツに成り得るかは引退したあとのアイドルがどうなるかを考えることに似ている気がする。アイドルをやれる時間は人生においてとても短い。10代前半から始めても10年ちょっとが限度だろう。アイカツにおいても同様に10年持つのだろうか?それは否だろう。女児アニメはそもそも視聴者が流動的だ。子どもがアニメを見る時期は限られている。出て行くものを引き止め、新しく入る子どものために間口を広く取らなければならない。いちごからあかりへの主人公交代は新しい子どもに見てもらうためだ。同時にいちごでは多くのことをやり尽くしてしまったので、縮小再生産の物語から脱出するための主人公交代だ。それすらもいちごの焼きまわしの縮小再生産でしかないが、それを理解して飽きた大人はフェードアウトすればいいだけの話でしかない。そもそも自分に向けられてない話に対して的外れでしかない指摘をすることは端から見てただの間抜けだ。文句を言わずにただこっそりフェードアウトすればいい。こうした血の循環がうまくいけば経済も循環してくれるのだろうが、果たしてそううまくいくか。女児向けシリーズはプリキュアのような一年1シリーズ、おジャ魔女どれみのような長期に渡る続編シリーズ、プリリズのように主人公は一年で交代しながらも3年程度で続けてタイトルを一新するシリーズ(『プリリズ』→『プリパラ』)など定式化されているが、アイカツが当てはまるとすればプリリズの方式だろう。それに関して失敗する要因は少ないように思える。だが、そのときおそらく俺はもう視聴してないだろう。経験則からくる根拠のない予感だが、ほぼ確信している予測でこういうものは一時期ハマって一時期でいなくなる。これはしかたのないことだ。だから楽しんでいる今のうちに作品から出来るだけ多くのものを受け取りたい。アイカツがこれから先、いったいなにを提示してくれるのか。大空あかりが目指すアイドル活動はいちごとどれほど違うものを提示できるのか。大空あかりにそんな期待をかけてこれからもアイカツを見続ける。