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RPGなんて大っ嫌いだ-『ノベルゲー万歳』

コラム

 ついさっき最低でも3時間掛けてレベル上げをしなければ到底倒すことが出来ないボスに大敗してヘイトが溜まってるので吐く。

RPGなんてクリアできるハードルが予め見えていて、現代の制作なんてユーザーフレンドリーとかいう前提を掲げてるからゲームはだれでもクリアできる前提でつくられる。少し頑張ればクリアできるハードルを設定することが重要で、クリアできないハードルを設定してしまうのはゲームの定義から言っても外れてしまうことだろう。ある一定の時点でクリア出来る方法が必ず存在(した)することがゲームの定義となる。だからクリアできる方法があるのはゲームとして当たり前だ。肝要なのはハードルの高さ。現代の理想は少し頑張ればクリア出来るが頑張らなければクリアできないラインだろう。つまり頑張りゃクリアできる程度ものでしかない。

攻略サイトを見るなどして情報を集めればクリアのための条件は簡単に割り出せるし、頭使えばRPGなんてそう難しいもんじゃない。だけど、だからこそイライラする。クリア方法が頭の中に思い描けていて、たとえその方法が間違ってたとしても試行錯誤を重ねた結果クリアする自分の姿が簡単に思い描ける。ゲームなんてクリアできることが前提だから、俺は明日にはクリアしてしまってるだろう。はっきり言ってそれがつまらない。

俺は生粋のシナリオゲーマーだからRPGなんて面倒な手間を掛けてシナリオを読まなければいけないもの程度にしか思ってなく、戦闘パートや攻略パートがただ面倒にしか感じられない。それでもやるのはおもしろいシナリオのものがRPGにあるから。出来ることならシナリオだけ読みたいくらいだが、それが叶うものは少ないし、背景やキャラが立体化されるゲームでシナリオだけ読むのはもったいないことこの上ない。だから必要ないのは面倒な戦闘パートや思索時間。それで考えてみたのだが、究極的に親切なゲームってこの戦闘パートを完全省略できるものなんだと思う。これはもはやシナリオゲームに成り果てるだけだが、クリア出来ることが前提のものならばシナリオゲームでなぜダメなのかと言いたい。課されたハードルをクリアする快感こそがゲームの醍醐味ではあるが、クリア出来るもの/出来ないものが存在しないゲームに達成感を覚えることはふとした瞬間に物凄く虚しくなる。

ラストまでクリアできるものが10%以下のRPGゲームがあるか?そういうものならばクリアしたことにも達成感が得られようが、99%の人間がクリアするものに達成感を得てどうする。それが悪いわけじゃないが、さっきも言ったとおり虚しくなるのだ。賢者モードも甚だしい。

そんな喜びなら、そのために費やす時間を省略することを切に願う。シナリオを読みたいだけなのに無駄に100時間も取られるのはもう嫌なんだ。攻略パートを省いたシナリオだけ読めるランスシリーズ出してくれアリスソフト。それか攻略パート1分以内の超短時間で済ませられるようにしてもらえるとほんとうに嬉しいなぁ。極論サイコロ振って6出たらクリアとかそんなんでいい。クリアできる前提のゲームってその延長線上のことでしかないもん。

レベル10上げたら勝てるのは明確で、そのために必要なものは10時間、その褒章はラストシナリオ10分とかRPGやってればザラだけど、こんな効率の悪いトレードオフはやってられないと思うのがシナリオゲーマー。

岡田コウ『Aサイズ』

 ロリ漫画界のトップランナー岡田コウの最新刊『Aサイズ』(ヒット出版社)が2月6日に発売された。

ロリ漫画読みという限界集落の住人にとって今月は祭りである。なぜなら岡田コウ関谷あさみというロリ漫画界の二大巨頭が一年以上ぶりに新刊を出すからだ。関谷あさみさんに至っては『your dog』以来の新刊で実に七年ぶりの商業エロ漫画新刊だ。そんなわけで今月はロリ漫画月間と言っても過言ではない。

 岡田コウ『Aサイズ』については、まず押さえておくべきことがある。収録短編『つまさきだち(前後編)』の掲載誌がCOMIC LOであったということだ。

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(画像『COMIC LO』2013年11月号)

岡田コウのLO掲載、これは当時エロ漫画クラスタに衝撃をもって迎えられた。岡田コウさんの商業誌での活動の中心は『COMIC阿吽』。私の知る限りにおいてLOに岡田コウさんの作品が掲載されたことはない。LOの発行元茜新社で現在廃刊になっている『COMIC RIN』には掲載されたことがあるらしいので、そこからの繋がりを考えると不思議はないが、あのときは『岡田コウがLO移籍……!!……か?』とどこぞのスポーツ新聞の見出しのようなことを考えたものだ。

茜新社のLOに掲載された原稿がヒット出版社から発行される単行本に収録されるという事態になったのは、LO掲載時の契約の際にそこまで契約に含めていたのだろう。LOに載ったのも『つまさきだち』以降は一本もなく、岡田コウさんの商業の主戦場は未だに『COMIC 阿吽』だ。岡田コウさんのLO掲載の目的は、とりあえず一本載せて雑誌との繋がりをつくること、LOというロリ漫画界のメッカに掲載されること(キャリア形成)、といったところが考えられるが実際は聞いてみなければわからない。

 『つまさきだち』についてはもうひとつおもしろいことがある。単行本化にあたって髪にトーンをかけるという修正を入れている。雑誌掲載時には金髪か白髪と考えられたキャラが茶髪のように見えるアレンジが加えられた。

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 さらに演出、セリフについても単行本で大幅な修正が加えられた。

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 髪の変更については演出の変更と同義である。上に挙げた画像からでもわかるが、トーンの有無でキャラの印象が全く違う。私はトーン有りの修正のほうが好きで、それが最も効果を発揮したと思ったシーンが下の画像のシーン。

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絵にとって線とは情報である。一つ線が加わるだけで情報が重くなり、絵に重みが増す。絵の重みはキャラの重みに繋がり物語に厚み与える。私が雑誌掲載時の『つまさきだち』を読んで気に入らなかった点は内容に比してキャラクターが軽かったことだ。岡田コウさんの最も魅力的な部分であるキャラの重み、実体感がいつもと比べて薄かった。それに加えて主人公ヒロイン共にキャラの感情がとっ散らかっていて、まとまりに欠ける短編になってしまっていた。

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単行本にあたって、そこが大幅に改善されていたのは流石という他ない。そして修正されたのはおそらく『つまさきだち』だけではない。『袋小路』『クラスメイト』も雑誌掲載時と比べて相当に読み味が変わっている。それについての検証はまだやっていないが、雑誌をもつ人は比べて見るとことをオススメする。

『イノセンス method 押井守演出ノート』の復刊を願う

 アニメーション監督として有名な押井守(『パトレイバー』シリーズ、『スカイ・クロラ』など)が自身の映画を解説するというアニメ好きにはたまらない本、それが『押井守 演出ノート』。シリーズというわけではないが、演出ノートは今までに二冊出ている。

一冊は『METHODS ~押井守パトレイバー2」演出ノート』。もう一冊が 『METHODS「イノセンス押井守演出ノート』。パトレイバーの演出ノートは復刊ドットコムにて復刊され現在でも手に入れることが可能。


『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート(押井守)』 販売ページ

押井守さんは現在のアニメーションでは一般的に使われるようになっているレイアウトシステムの重要性を説き普及に貢献された人として有名だが、このシステムの真髄が垣間見える一冊である。画面になにをどこに配置するかで映像の見え方は全く違う。巨匠小津安二郎監督(『東京物語』『晩春』など)は画面に映るものすべてを把握していたという話がある。登場人物が持っている団扇の柄はどういうものか、部屋にどんな小物が置いてあるか、そういうものまで拘っていたというのだ。アニメでいえば、近年プロップデザインというスタッフクレジットが必ずといっていいほど現れるようになった。プロップデザインとは小物のデザインを統括する役職のことだ。この役職が普及してきたことが、画面に映る小物の重要性が高いことの証明だ。最もレイアウトで小物まで管理しているかは作品によるが。

話が脱線してしまったが、こういったことに興味がある人は是非この本を読んで学んでもらいたい。私の言葉よりもよほど説得力があり、理解をもたらしてくれるだろう。

さて、もう一冊のイノセンス演出ノートだが、これは未読。新品で手に入れることはほとんど不可能で、中古以外で手に入れることは無理といっていいだろう。値段に目をつぶれば手に入れることは可能だが、復刊されるのではという思いから踏み切れないまま一年以上が経過した。

「イノセンス」METHODS押井守演出ノート

「イノセンス」METHODS押井守演出ノート

 

読みたくて仕方ないので、半年以内に復刊されなければ中古なりオークションなりで手に入れると決めているが、復刊ドットコムで復刊されないのが不思議でしょうがない。

『「イノセンス」METHODS押井守演出ノート(押井 守、プロダクションI.G)』 復刊リクエスト投票

200票以上の復刊リクエストが寄せられているのは、劇パト2の演出ノートの評価があってこそだろうし、復刊が決まれば売れると思うのだが。

中古本って安いからアホほど買って本棚に入らなくて後悔するよね

 ネットで中古本が買えるようになって100冊で一万円いかないようにするのも簡単だから欲しい本をなにも考えずに買って行くと100冊くらい軽く超える。もともと、中古本を溜めてしまう質だったが、ネット通販を利用するようになってから酷くなったように感じる。ネットだと本棚のことを考えずに買っちゃってダンボールの山を前にして、これどうしようと途方に暮れる。リアル書店だと手に持つからこれ以上買っちゃダメだという自制がまだ利きやすい。

 今、10年程度前のエロ漫画を集めていて有名エロ漫画家の初期作品を読んでいるが、エロ漫画って一冊が文庫本3冊分くらいの厚さで高さも20cmくらいあるから棚の占有率が高い。文庫本だと100冊でダンボール一箱ですむところをエロ漫画だとデカイダンボール三箱くらいないと入らない。気に入ったもの以外読み捨てがベターだと思うからダンボールに入れっぱなしで、そのまま捨てることになるかもしれない。エロ漫画は一冊千円程度するが、10年前のものなら100円程度で手に入る。10年という月日でこれだけ値段が下がってしまうのも不思議に思える。まるでハードカバー本と同じだ。新しさに価値があるというのは学術的な研究分野なら理解出来るが、娯楽でも同じというのは妙な話だ。最新の作品を博打的に読んでいくより、過去の名作を読むほうが遥かに打率が高く安く済むというのに。昔のものに楽しさ覚えれば新しいだけで高い金を払うのはバカらしくなる。エロ漫画は絵柄の流行が最も端的にあらわれるもので、流行り廃りの速度が半端無く早いが、おもしろさもエロさも昔の名作は決して負けてないことがわかってきた。富野由悠季さんは売れるものは時代をつかんでいるものだ、と言っていたが、これは金になるものは新しいもの〈時代の最先端〉であるという逆説的な意味もあるのではないか。過去作ならば中古やレンタルを利用して金を使わずにおもしろいものに触れられる。そのノウハウが自分のなかで溜まって趣味に金を使わず楽しむことが出来るようになってきたが、時代には置いて行かれてしまっている感じがある。人に合わせなければならない状況さえなければそれで構わないが、現状の改善の必要も感じているので最先端と歴史に触れるバランスを意識的に上手くとっていけるようになることが課題である。

『ハルキス』に込められた願いの言葉

ゲーム

”責任とって”

本作で結ばれたヒロインは必ずこの言葉を使う。本作のキーワードだ。

生きることが楽しくない主人公の修司は、責任という枷がなければ生きていくことが出来ない。葵が指摘していたように、修司がだれとも結ばれないまま白石の家を出ていたら野垂れ死ぬ結果となることは想像に難くない。生き続けるための原動力を持たないのが修司だ。だれか、もしくはなにかから押し付けられる義務がなければ彼は自発的に生きることをやめてしまうだろう。そういう人間性で、そういう境遇にいた彼は一人で生きていくことが出来ない人間だ。死は終わりである。続けなくていい、やめられるという誘惑は生きているものにとって時にとても魅力的に見えてしまう。だから、修司が生き続ける選択をすることは責任に縛り付けられなければならない。これはとてもネガティブな原動力だと思う人もいるだろう。だが、私は本作が発したこのメッセージをとても尊いものだと思う。一人で生きられない人は必ずいるのだ。そういう人たちに対して誠実なメッセージを伝えたのが『ハルキス』という作品だ。修司に生きて欲しいと思うヒロインたちが願いを込めて放った言葉が『責任をとって』という言葉であり、私はこの言葉をとても美しいものだと思うし重い言葉だと思う。その重みが修司を救い、この物語を通して私たちも救われることを制作者は願っているのだろう。ここに込められた”祈り”をきちんと受け取りたいと私は思うし、他の人たちも受け取れることを祈っている。

『艦隊これくしょん』3話 三つの気になったセリフ

アニメ

あらすじ STORYアニメ「艦隊これくしょん -艦これ-」公式サイト

 如月轟沈回として騒がれていた回だが、轟沈に関しては艦これファンなら予想通りといったところだろう。そもそも、ゲーム『艦これ』の生みの親、アニメでは原案ストーリー/コンセプトという立場の田中謙介さんは、ゲームをつくる原動力となったものに、沈んでいった軍艦を忘れて欲しくなかった、という想いがあったことを語っている。

4Gamer
 最初にうかがいたいのは,「艦これ」が,“萌え系”の“オンラインゲーム”で“育成系”と,三本柱の揃っているゲームでありながら“データロストがあ る”という,比較的珍しい構成になっている点です。この「データロストがある」という仕様は,どういう経緯で実装されたのでしょうか。

田中氏:
 実は「艦これ」は,最初はほとんど自分の趣味の企画といってもいい存在だったんです。旧軍の要港があった街や,奮戦して壮烈に,あるいは誰も見ていない ところで悲しく沈んでいった艦艇を何らかの形で紹介し,一瞬でもいいからみんなで共有できるようなものを作りたいというのが,そもそもの発端でした。
 だから,そういう哀しみの史実や喪失感,もしくは痛みといったものを感じさせるプロトコルとして,ロストというのは当然の選択だったんです。実際にブラウザゲームとして実装してみたら,多くの提督(「艦これ」プレイヤーのこと)から「ロストは珍しい」「やめて」とも言われたのですが,むしろそれ以外にどうやって表現するんだと(笑)。

(引用:4gamer.net『「艦隊これくしょん -艦これ-」はいかにして生み出されたのか。その思想から今後のアップデートまで,角川ゲームスの田中謙介氏に語ってもらった-』http://www.4gamer.net/games/205/G020591/20130911062/
如月のこと、忘れないでね…(『艦これ』三話 如月最後のセリフ)

   田中さんのこの思いがあって艦これが始まった以上、アニメも轟沈描写は避けられないという予想はされて然るべきだ。その艦娘のファンであれば残念に思うのは当然かもしれないが、それ含めて艦これと思うほかないと考えている。もう沈んでいる軍艦だからこそ乗員含めて忘れないことだけが、生きているものに出来る最大の祈りだ。

余談だが、艦これは田中さんの極めて個人的な思いから始まり、それが凄まじい速度で拡大したコンテンツなので田中さんの意向が強く反映されやすいコンテンツでもあるように思う。二話まではアニメとゲームは別ものだと考えていたが、この一件からして田中さんの思想が要所要所に入り込んでくるのかもしれない。

三話の脚本家は吉野弘幸さんだ。吉野さんには個人的にいい印象を持ってなかったが今回はベテラン脚本家らしい上手い手際だったと思う。序盤の盛り上げ方からラストで落とす展開は鉄則とはいえ見事なものだった。コンテ・演出を務めた玉木慎吾さんが恥ずかしがらずに真っ向勝負で演出したことが好結果を生んだ要因。二人とも素晴らしい仕事をされている。

 鋼の艤装は戦うために

高鳴る血潮は護るために

秘めた心は愛するために

 中でも圧巻だったのはAパートラスト、出撃の日の朝、赤城が朝焼けをバックに吹雪に語りかけるシーン。この赤城の口上を考えた人が吉野さんかわからないが、素晴らしいセリフだ。これ以上ないほどベタなシーンだが、ここを恥ずかしがって奇を衒えばろくな結果にならない。海、ストレートな口上、朝日を逆行にハイコントラストの画面、どうしようもないほどベタなシーンにベタなセリフにベタな作画、ビックコンテンツほど映えるベタで素晴らしい演出。三話のAパートは今までの『艦これ』の中では圧倒的に好き。Bパートの演出も吹雪が睦月を助けるシーン、如月が撃墜されるシーン、轟沈したことを伝えられずにはしゃぐ睦月に利根と神通と長門のOFFセリフ、どれもベタな演出だったが正しい演出だった。

 利根『言っておらぬのか?』

神通『まだ確定してませんから。希望が少しでもあるうちは…』

利根『じゃがその方が残酷なこともあるぞ』

 それとこのセリフについては少し注意して考えておきたい。残酷な真実は出来る限り早いうちに知っておいたほうが傷が浅くて済む、という意味だけで捉えてしまいそうだが、それだけでは少し足りないと思う。このシーンだと現に睦月は轟沈した事実を知らないせいで如月との会話をシミュレーションして妄想だけで喜んでいる。喜んでいる分だけ事実を知ったときに傷が深くなる可能性が高いため、利根の忠告は正鵠を射ていただろう。早く知らせておいたほうが傷は浅くて済んだかもしれない。だが、それだけだろうか。私はどうしても伝える場面を想像してしまう。睦月に対して如月が死んだことを伝えなければならないものがいる。それを報告するのは如月を死なせてしまった仲間たちになってしまう、ということだ。戦闘がやっと終わったと思ったら如月がいなくなったことがわかって疲れた身体に鞭打って捜索を続けるも見つからず帰還してきた仲間たちが、明るい表情を浮かべる睦月に向かって真実を伝えなければならない。それは大変に疲れることだ。残酷というのは、如月が死んだことを知る睦月だけのことではない。如月を死なせてしまうことになった一緒に戦っていたものたちにとって、それをだれかに伝えなければならないというのは非常に重い作業なのだ。その重責は現場で一緒に戦っていたものたちにではなく、上司である自分たちが負担するべきではないかという意味を込めたセリフでもあるんじゃないだろうか。組織構造しらないけども。

残酷というのは死者の関係者のだれにも当てはまることで、ただ睦月可哀想というのは考えが甘すぎるというもの。それを忘れてほしくない。

緑のルーペ『こいのことば』

エロ漫画界隈では有名な緑のルーペ著作『こいのことば』を読み終えた。

こいのことば

こいのことば

 

 

なにかしらの問題を抱えた学生が学外で出会った社会人の男を逃避行先としたドラマ、というエロ漫画ではありがちな設定の本作。だが、逃避行ものとしての秀作にはなったと思う。緑のルーペさんといえば『イマコシステム』『ガーデン』シリーズで有名だが、これらの作品より遥かにキレの増した演出には驚いた。もともとコマ割りやセリフ回しのうまい人という認識はあったが、ここまでキレのある演出をやってくる人ではなかった。さらに前までは作画に若干の不安定さがあってキャラの可愛さがなかなか安定しなかったのだが、今作のキャラのかわいさは抜群だった。可愛く描くことを研究されつくされた黒髪ロングの美少女という伝統的なキャラデザのおかげで参考資料も多かったからなのかもしれないが、キャラデザと作画についてはさらに一皮剥けた印象を受けた。この急成長の原因については後書きで絵を寄せていたアシスタントのさとみさんの影響もあったのではないかと思える。この人の描く絵がやたら可愛らしく影響受けているんじゃないかとか。

逃避行といえば『WHITE ALBUM2』2部における春希とかずさの旅館とか、ドバト『少女とギャングと青い夜』の学校の立てこもりとか、『イリヤの空、UFOの夏』3巻のイリヤと歩いた線路とか、参考文献が山のようにあるわけだが、逃避行の最大の山場といえば逃避行先で現実(警察であったり時間であったり探しにきた家族や友人であったり作品によってまちまち)に追いつかれる直前。逃げきれないことは明白で数日後には逃避行が終わることがわかっている中で、それを言葉にせず二人であったらいいと思う理想の日々を語るシーン。緑のルーペさんはこれをよくわかっていて、本作で非常に印象深い演出をしているので必見。

本作のタイトルになっていることからわかるようにこの物語のキーワードは”こい”である。新海誠さんの映画『言の葉の庭』はキャッチコピーが『"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり。』だけど、本作の”こい”の言葉にはまた別の意味が込められている。孤悲とは一人で悲しく想うことで、それこそが『言の葉の庭』の”こい”だったが、では本作における”こい”とはなんなのか。この”こい”の行く先を見届けてもらいたい。

〈BGM:上原れな『優しい嘘』〉

余談

本作は雑誌連載ではなくWeb漫画の連載が書籍化されたものというところに注目しなければならない。読んでいる最中、これを連載できる雑誌はどこかを考えていたのだが、全く思い浮かばなかった。奥付でWeb漫画連載としって大いに納得したが、これが連載できそうな雑誌がないことがもしかしたら現在の雑誌の問題点でWeb漫画の強みなのかもしれない。おもしろいWeb漫画を思い浮かべると、雑誌に載せられないタイプの作品も結構多いのかもしれない。岡部閏『世界鬼』、ONE『ワンパンマン』『モブサイコ100』などあまりWeb漫画を読む質ではないのでサンプルが思い付かないが、そういう隙間をついた傑作もこれからよりチャンスをつかみやすくなる時代がきているのだろう。最も作品数が急増することで目につく機会を増やすことが難しくなるデメリットもあるが。ただ、こういう作品が好きな人間にとって、Web漫画でちょこちょこ人気のある作品が出ていることはありがたくおもしろい話であるように思う。